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ヒモ「小銭は任せろ!お札は任せた!」

こんなに体調が優れないのだから、たらふく飲んだに違いない。
昨晩は雑誌の編集にお酒を奢ってもらっていた。

編集と飲めるのは嬉しいことだ。向こうも仕事の付き合いと理由がつけられるうえに、僕も何か生産的なことをしている気分になる。酒代だって編集が務めている会社のお金から捻出されるので心も全く痛まない。

会社勤めをしたことはないが、経費とはきっと素晴らしい制度なのだと思う。なんて言ったって抱えている社員だけではなく僕にまでタダ酒を飲ませてくれるのだから最高だ。

酒代を出してくれる会社は信用ができるのではないか。会社万歳。経費万歳。タダ酒万歳。

とはいえ、二日酔いはいやだ。頭がズキズキする、最悪な昼下がりだ。
初めてお会いした女性編集の方に「僕の宿代も経費で落とせないか。経費でなくても構わない。」と言っていたこと以外何も思い出せない。

喫茶店に珈琲を飲みに行きたい。アイスコーヒーでシャキッとしたい。
外出をするためにいったん水も飲みたい……。

なんだアルコールが入っているかいないか以外何も変わらないじゃないか。なぜ喉を潤すために僕はこんなにお金を払っているのだろう。

喫茶店までの道すがら自販機で購入した緑茶のペットボトルをグビグビいきながら、もしかしたら僕はお金の使い方が下手なのではないかと不安になってくる。

僕は屋根壁代を払わないが自分の小遣いは自分で稼ぐ。
その小遣いのほとんどは飲み物、特に嗜好品と呼ばれるモノと交換されている。

僕は、自らの社会活動を維持させることよりも嗜好を優先させて生きているのかもしれない。
金銭管理をしろと怒られることもあるのだが頓着がない。
そんな説教に耳も貸さず、自分の嗜好に従い自分を満足させるためだけに今日を生きる。

あぁ良かった。見ようによってはどこか貴族の生活みたいじゃないか。
またひとつ自分の良いところを見つけてしまった。

それで何が言いたいかというと、僕は自分で金銭を管理できないということだ。多少チョロまかされてでも誰かにやってもらうしかない。

「何で僕はお金が下手なのだろう」と、落ちこむにも酒が必要だ。まともな頭で考えられるテーマではない。とにかく僕がお金にウンウン悩んだところで解決策は出てこない。
そんなことよりアイスコーヒーをもう1杯飲みたい。

――

『超プロヒモ理論』にはお金に関しての考えも書く予定だった。
ページが足りない理由より泣く泣く削除してしまったが、

「小銭は任せろ!お札は任せた!」と、僕と彼女の金事情を紹介する項が当初あったのだ。

ヒモといえど僕はコンビニの買い物や彼女と喫茶店に行ったときなど、少額の金額を率先して払うようにしている。
繰り返しているうち、2人の出資バランスをとりたい気持ちからか彼女より「次のお店は私が出す」と提案されることも少なくない。

そういうときは大体『温野菜』など紙のお金が必要なお店に連れて行ってもらう。無論何もバランスなど取れてない。

『温野菜』の「選べるお出汁」の選択権を彼女に委ねる配慮などもしてみせるが、せめて玉のお金が必要とされる時くらいは払っておかないと居心地が悪いのだ。

いや、普段から彼女は僕に服を買おうとしたり、ときに「私のお金で留学するか」と血迷った提案をすることもある。『温野菜』も本当はいつだって連れていってくれるのかもしれない。

しかし、バカ言っちゃいけない。ヒモに言わせてもらえば、彼女には計画的なお金の使い方を考えてもらわなきゃ困る。

金に時間に計画性を持てないからヒモなのだ。
稼ぐ、貯める、遣う、借りる。全てにおいてお金が下手なので、まとめてお金が下手だと言っている。

2人してお金の遣い方が分からないんじゃ共倒れだ。
いやだ。金勘定のことをあまり考えずに生きていたい。どうか僕の代わりにお金に詳しくなってくれ……。

――

そもそも僕のヒモ生活は分業だ。昼間お金を稼ぐ彼女を家事でサポートをする。主夫(主婦)と言われることもあるが、どちらかと言えばヒモの方が理解されやすいだろうし、なんなら自分が彼女のスタンド能力に思えてくることも多い。

その家事の対価として屋根壁代が免除されている。と、本には書いているが実際はそれどころの話ではない。
僕は彼女に「お金」にまつわる全てを託している。

すこし脱線して、僕と彼女の分業を話したい。
2人が手分けるのは「外で働く」「家で家事する」といった活動や作業のみにとどまらない。

常識やセンス、生きていくうえで必要な能力の諸々までを分担して共生している。

たとえば、会社仕事をするのは彼女だが行きたくない飲み会を欠席する際のメールは僕が代筆している。
海外のホテルのフロントで宿泊の手続きを進めるのは英語を話せる彼女の役割だが街で押し売りに合った時などに日本語で応戦し相手を根負けさせる役目は、やっぱり僕だ。

僕と彼女は諸々を補い合っている。例を挙げ出せばキリがない。
こういうことを書くと、惚気ているようにも思われてしまうのだが、僕はやっぱり自分がスタンド能力に思えてきた。

――

話を戻すと僕は金にまつわる一切合切を彼女に頼っている。
お小遣いの原稿料だって振り込まれた翌日には半分になっているし、何に遣ったのかあまり覚えていない。

10,000円札なんて次の瞬間に7,000円になってるし、次に財布をあけたときは5,000円まで減っている。そんなはずはない、もう一度確認してみたら1,000円札と見間違えていた。大体いつもそんな感じだ。

残金が500円をきったあたりからヤバいと思う僕は今後も反省しないだろうし、うまくやれる気もしない。
金のことを勉強するだけで人生が終わってしまうかもしれないくらい訳が分からない。そうしたら金銭の管理はもう他人に任せるほかない。

「お金のことを僕の代わりに勉強してくれよう!頼むよう!お願いだよう!」

僕が唯一これからのお金に対して出来る対策は、彼女が金をうまく使えるようにダダをこねる他にない。お金の勉強はしたくないが、僕はワガママなら言える。

彼女だってどうせなら金をうまくつかいたいはずだ。ハッタリもワガママも他人のためなら許されそうなものである。

最近の話だと、本を出版するといくらか印税というものが支払われるらしい。と言うのも、実はよく知らない。本にまつわる諸々のお金のウンチャラは全部彼女に任せているからだ。


お金のルールが書かれたファイルも二見書房から送られてきたが、開封せずにそのまま彼女に転送した。
彼女の口から説明してもらったがなるほど、やはり分からない。
任せて正解だ。万が一僕に振り込まれようものなら、金額関係なく円安俺高になるのが目に見えている。
駄菓子屋に向かう小学生に10,000円札を握らせることと何も変わらない。

僕がまともに扱える金額は、背伸びして500円までだ。欲がないわけでもないのだが、僕は彼女に『温野菜』を奢ってもらえるので問題ない。「小銭は任せろ!お札は任せた!」の項にはそういったことを書いていた。おわり。

飼い主の彼女からの一言

どうやら、帯文を書いていただいた栗原康先生の影響を受けた模様です。毎日ペットボトル3〜4本消費しているので、水筒を買ってあげたのですが、あんまり本数減ってないみたいです。


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