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ステファン・ランビエール ――バランス、細部へのこだわり、そして妥協のない指導――

コロナがまん延していた2021年暮にAbsolute Skating に掲載されたステファン先生のインタビューです。当時、インタビュアーのリュートさんの許可をいただいて全訳し、グーグルドキュメントで公開していたのですが、いつのまにか消えていたので、noteに再掲します。今、あらためて読むと、20年ワールドの中止はとても残念だったけれど、ステファン先生と昌磨くんがタッグを組んだのがコロナ前でほんとうによかった。さまざまなタイミングや運命のつらなりで、今日のかたちがあるのだなと感じます。なお、ここで言及されているステファンのショーナンバーThis Bitter Earth と Lost はその後、無事に披露され、Fantasy on Ice や Friends on Ice で見ることができました。

2021年12月14日 アブソルート・スケーティング インタビュー
Stéphane Lambiel talks balance, precision and no compromises
インタビュアー:リュート・ゴリンスキー

ステファン・ランビエールさんとお話するのは2年ぶりでした。いつもながら話したいことが多すぎて時間が足りませんでした。ステファンと話すときはいつもそうですが、事前に準備したたくさんの質問はカバーしきれず、ときにはまったく違う方向へ話がそれることもありましたが、会話は盛りあがって、興味深く、刺激的で、考えを深めてくれるものでした。
(以下、アブソルート・スケーティング:AS、ステファン:S)

AS: ステファン、ようやくお目にかかれてうれしいです! お元気でしたか?
S: 元気です。この状況のなかで可能なかぎり元気にしています。世界はあまり元気ではありませんが……でも、わたしにはなんの不満もありません。すばらしい家があり、すばらしい仕事があり、大好きな人たちのめんどうを見ているのですから。

AS:2020年にパンデミックが始まったとき、あなたのことを考えて、どんなにかつらいだろうと思いました。アイスショーは中止になり、リンクも閉鎖、人に触れたりハグしたりもできない。バーチャルや、あなたのきらいなインターネットばかりで……。
S: そうですね。世界はすっかり様変わりしました。いま、あげてくれたものは、どれもわたしにとって必要なものばかりです。アイスショー、人との触れあい、遠くへ出かけること……。なにしろコロナ前は、2週間ごとに外国へ行っていたんですから。ただ、シャンペリーは、コロナ前とたいして変わりません。自然に囲まれていますから、いまのような状況ではいちばんいい環境かもしれませんね。生活のリズムも、これまでどおりのんびりしています。ただ、きゅうに、その風景を毎日眺めることになっただけで。でも、シャンペリーに身を置いて、自然の移りかわりを見つめているのもいいものですよ。秋の紅葉もきれいだし。小さなうつりかわりに目をひかれるようになります。手っ取り早い変化を求めずに、ただじっくりと見るのです。毎朝、目をさまして山々を目にし、光のぐあいや、太陽がのぼってゆっくりとあちらの峰に動いていくさまを楽しみます。出かけることが多くて忙しいと見過ごしてしまいますが、今はずっとシャンペリーにいますから、ゆっくりとした自然の移りかわりを楽しんでいます。

AS: たしかに自然や四季のうつりかわりに敏感になりますね。パンデミックのあいだ、わたしは家の周りの写真をとりまくって、草花の一本一本と仲良しになりました。どれがいつ咲くか、とか……。
S: そうでしょう! うちでも菜園をこしらえて、いろいろなものを植えました。育って、花が咲いていく、その色のリズムもすばらしい。ズッキーニが収穫できたときは大喜びでした。最近ではビーツやネギ(リーク)もとれて、スペイン風オムレツを作りましたよ。卵にジャガイモと野菜を入れて作るんです。

AS: ああ、前からあなたに料理を教えてほしいと思っていたんです!
S: いいですよ、自己流だけど(笑)。人間だから、どんな状況にも適応しますしね。

AS: 適応といえば、ZOOMで教えていらっしゃるんですよね!
S: うそみたいでしょう? しばらく様子を見ていたのですが、必要性が生じて、そういう機会があり、ほかに手段がなければ、やるしかありません。わたし自身は、インターネットというものが少しも好きではないけれど。テクノロジーに対しては、葛藤があるのですが、ありがたい面もあります。でも人間は弱いものですから、うまく使いこなしていないなとも感じています。

AS: でも初めてお話ししたときのように、全否定ではないんですね! あのときは、わたしがいくら利便性を訴えても考えが変わらなかったのに。
S: イエスでありノーでもありますね。いい面ばかりではないですから。

AS: でもこのコロナ危機が10年前、あるいはネットが発達する前に起きていたらと思うとどうですか。それでももちろん人間は生きのびたでしょうが、もっとつらかっただろうし、寂しかったんじゃないでしょうか。
S: もちろん、外出できないときに顔を見られるのはありがたかったです。ロックダウン中に、ポルトガルにいる祖母の顔も見られました。でも同時に、何もかもがさらされて、情報があふれすぎだとも感じます。もちろん使い方は自分で選べるのですが。それでも情報が氾濫して、人々がかんたんにああでもないこうでもないと決めつけすぎです。いったいなんの権限があって決めつけるのか? これはどちらかというとソーシャルメディアの領域ですが、いずれにせよネットが発達して、人が四六時中スマートフォンにつながれているから、みな常に人の目にさらされているのです。そんなに多くの情報は必要ない。もちろん、なかにはいいものもありますが。

AS: そういえば、昌磨がどこかのインタビューで話していたのですが、2020年のワールドが中止になったとき、あなたは涙を流したそうですね。

S: ええ、昌磨がかわいそうで。ほんとうに準備万端でしたから。19年~20年は昌磨にとっては困難なシーズンでしたが、復活して一歩一歩調子を取りもどしていました。あたかもばらばらのピースをひとつずつつなぎあわせていくような具合で、苦労するときもありましたが、とつぜんすべてのピースが組みあがって、あっ、「彫刻」ができあがった、と感じられたのです。それなのに披露する場がなくなってしまった。あまりにもつらいことでした。選手たちのことを思うと悲しくてたまりませんでした。

AS: ではその「彫刻」はいま、オリンピックに向けて作成中なのですね?

S: そうです。ワールドが中止になるとすぐ、オリンピックへつづく道筋がはっきりと見えました。もちろん、ロックダウンもあり、不確定要素もたくさんありましたが……でも昌磨は好調を維持していますよ。あとは健康でいること。――デニスも同様ですね。今は、健康がいちばん重要な要素のひとつだと思っています。調整はうまくいっていますから。

AS: アジアン・オープンで中国に行かれましたよね? オリンピックのテストイベントだということも足を運んだ理由ですか?
S: そうです。できるかぎりのものを見て、なるたけ状況を把握しておこうと。ウォームアップ用の施設が見られたのはよかったです。運営の様子もわかりましたし。バブルのなかにいて、毎日検査がありました。

AS: アリーナの写真を見ましたが、係員が防護服を着ていましたよね。ちょっと不気味な光景でした。
S: ええ。でもあれは医療スタッフだけです。バブル内でわたしたちといっしょにいる人たちは、マスクだけつけていました。バブルの外から出入りする人は、もっと重装備だったのじゃないかと思います。空港で対応してくれた人たちも防護服を着ていましたから。

AS: 会場はよさそうですか? わくわくしました?
S: ええ、もちろんです! あのリンクはよく知っているんです。グランプリシリーズの会場でしたから。たしか1960年代に建てられた4、50年の歴史がある施設(北京首都室内体育館)だったと思います。それをすっかり改修して、きれいにしてありました。

AS: 五輪会場といえば、あなたが昔話を好まないのは知っていますが、今、わたしたちがいるのはパラヴェーラで、2006年トリノオリンピックですばらしいドラマが繰りひろげられた会場です。なので、ここであなたとお話できるのは、とても感慨深いです。
S: そうですよね。ここには特別な場所がいくつもあります。リンゴットと選手村を結ぶ橋があるのですが、リンクに来るまえによくあそこを散歩しました。あの橋を見るといつもなつかしく思い出します。パラヴェーラもなつかしい。ドアの開き方までおぼえていますからね……何もかも当時のままです! 更衣室がへんな形をしているんですよね。四角ではなくて、ひとりひとりにべつのコーナーが割りあてられていて、あれはちょっと好きだった。ほんとうに、またここに来られてよかったです。初めて来たのは2005年のユーロで、もう16年、いや17年近く前ですが、ついきのうのことのようです。
 今回は、デニスを〈フィアット〉の試走場(テストコース)に連れていきました。リンゴットビルの屋上にある有名な施設で、むかしはそこでフィアットの車の走行試験をしていたのです。街なかにあんな広々とした場所があって、しかも建物自体100年ぐらいの歴史があるんですよ。100年前にあんなコースを作って新車の試走をしていたなんて驚きです。川べりやヴァレンティーノ公園を歩くのも気持ちよかったです。

AS: もうひとつどうしてもききたいことがあります。アイスショーはどうなるんですか?
S: わかりません。わたしも待っているところです。
AS: 披露されていない新プログラムはどうなるんでしょう。
S: ダーモット・ケネディの「ロスト」とマックス・リヒターの「ディス・ビター・アース」ですね。披露できるといいのですが……。
AS: 練習はしてます?
S: いや。
AS: どちらも悲しい曲ですよね。
S: そうですね。でも今は世界じゅうが悲しいから……。
AS: いやいやいや、それはこちらのせりふでしょう。いつもわたしのことをペシミストって言ってたじゃないですか!
S: わたしにだって暗い一面はありますよ。

AS: ところで、世間にはあなたが、感じがよくてやさしい――ことによるとやさしすぎる――コーチだという見方があります。いつもにこにこして、選手をハグしている、と。でも練習の様子を見せてもらうと、じっさいには選手に多くのことを求めるきびしさがありますよね。ご自分ではいつも「こまかい」コーチだとおっしゃっています。それはどういう意味ですか? 
S: わたしはこまかくて、完全主義者なんです。考えが古いと言われようが、昔ながらのスケートが好きです。図形(フィギュア)や、エッジ、長い軌跡、心の奥底からわきあがる動きといったものが見られるスケートが好きなんです。こんなことを言うと、ナイーヴだとか、スポーツ的な側面を軽んじていると思われるかもしれませんが、じっさいにはそう単純なことではありません。今言ったようなことを実現するには、こまやかな技術が必要なので。そして、それを教えるにはとてもこまかく、とてもがんこでいる必要があります。今はみんなこの部分をすっ飛ばそうとするのですが、わたしはそこを教えるのが好きなんです。ペーター・グリュッター(ランビ先生の元コーチ)が毎週水曜日の午後に手伝いに来てくれて、子どもたちを教えてくれるのはとてもありがたい。ペーターは知識がものすごく豊富ですから、それを受けついでいくことは大切です。

 もちろん、生徒には、リスクを取るよう背中を押すこともあります。フィギュアスケートは競争のはげしい、むずかしいスポーツですからリスクをおかすことも必要だし、わたしはそういうことも好きです。でもそれは質を保つことと、心地よくできる範囲からはずれてしまうことのバランスの問題です。そこを大切に考えているからこそ、わたしはフィギュアスケートが大好きで、毎日リンクに通って生徒に教えたいと思いつづけているわけです。
 若いときは、もっと柔軟に意見を曲げていたかもしれませんが、年を重ねて大人になった今、むかしよりがんこになりました。じぶんが望むことや、どういうやり方でやりたいかがはっきりわかっていますから。さっき、わたしにやさしいコーチなのかどうかとたずねましたよね。思いやりがあるという意味ではやさしいと思いますが、なんでも好きにやらせるわけじゃないという意味では、やさしいとは言えないと思います。わたしには自分なりの考えがあって、それに沿ってスケートをするには、練習が必要です。とても一生懸命練習しないとなりません。妥協はなし。謙虚に練習しつづけることが大切です。それを効率よくこなすにはしっかりした基礎と、繰りかえしの練習が必要です。そして、心のなかに炎を燃やしてほしい。外からでは点火できません。自分で自分の心に火をつけなくては。どのレベルの選手にも言えることです。

わたしは人に好かれなくてもかまいません。ただ自分に誠実でありたい。若いときには、いい印象を持たれたい、褒め言葉だけほしいと思うものかもしれません。もちろんわたしだって、成功して人に認められればうれしいですよ。でもなによりもまず、自分の価値観や、自分が愛するもの、スケートがどうあるべきかという考えに誠実でありたい。そのためには妥協するつもりはありません。


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