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ファザコン……父と私の話(子供時代)

運動指導者の働き方改革を推進する、池田扶実子です

私は、ファザコンです
父が大好きです💕
今日は私がファザコンになった理由

私は長女として生まれてきました
父は、生まれてくるまで男だと信じていたようです
生まれた私に、「男やったらなぁ」つぶやいたそうです

そんな父ですが
生まれてからは、常に父がそばにいたようです
子供のころの写真を見ると
常に"父と一緒”で
いつも抱っこされていました

生まれたときに
父にそっくりで、祖母に「はんこやね」と言われたそうです
それが理由かも知れません

私が4歳の時
常に、風邪・中耳炎を起こし
今の私からは想像できないガリガリちゃんだったそうです
扁桃腺が異常に大きく、それが原因で病弱でした
結局、扁桃腺を取ることになり
手術……2~3日で帰れるはずが……とんでもないことに

その時のこと、私は4歳でしたが、はっきりと覚えています
手術から病室に戻り、目が覚めたら
母が「水……飲む?」
私はうなづいた後、「グルグル、グチュグチュ」と
鼻の奥で音がして
「ゲホッ」と咳払いと同時に
目の前が真っ赤に染まりました

目から、鼻から、口から、出血……
母が「ぎゃーっ」と……
気がつくと、そこは「手術室」
黒いマスクが私の口を覆いました

目が覚めると、私は病室にいて
喉の奥に違和感がありました
鼻からひもが出ていて、結ばれていた
出血がひどく、血液を止めるのに
喉の奥に、綿を丸めたものをぶら下げていたそうです

両親・祖母・叔母・叔父……
沢山の大人に囲まれていました

4歳の記憶が鮮明なんです、何故か?
その後、1日経っていたのか?定かではないのですが
鼻の穴のところにある結び目が切れて
何かが喉に詰まりました

急に呼吸ができなくなり……意識が飛び
目が覚めると
口の周りには、銀色の医療器具が一杯で
そのままガラガラガラっと、運ばれていました

また手術室で
黒いマスクが、また私の口を塞ぎました

目が覚めたら、病室にいて
父が「良くなったら、ピアノ買ってあげるな」と言い
私は口がきけなくて、頷きました

入院前の私は、ピアノを習い
父に「買って~」とせがんでいたのでした

そうすると、父が立って、壁に向かって泣いていました
どうして、父が泣いているのかは分からず……
未だに、その時の父の姿が、脳裏に残っています

後から聞いた話ですが
その時に父は医師から「もうダメだ」と言われたようです
「助からない」と言われたそうです

私はそれから何度も手術室を往復しました
入れ替えた輸血量は、体重の何倍もだそうです
両親が、親戚・友人を集めて
輸血をまかなったそうです

もう点滴を入れるところがなくて
ついには、内くるぶしを切り……
麻酔はなく、医師に「我慢してね」と言われ
切ったことを覚えています
「よく我慢したね」と褒められました

私は、奇跡的に助かりました
父と祖母は、毎日欠かさず
車に乗って、東大阪の石切大社に通って
お百度を踏んだそうです

退院して、しばらくは自宅で過ごし
幼稚園にも戻れるようになりました

それから4年後……
大阪万博
父と二人で高島屋へ行き
ウールで赤のチェックのベストとパンツを買い
それを身につけて
大阪万博へ何度も連れて行ってもらいました

何故だか分からないのですが
子供のころの記憶は
父と一緒のことしか覚えていないんです

銭湯に行くのも、父で
帰りは肩車で、たこ焼きを買って貰いました

3歳下の妹がいるのですが
今思うと、母が妹にかかりきりで
父は私のお世話役……だったんでしょうね

父にかわいがって貰った記憶の方が鮮明で
これもまた、ファザコンになる理由のひとつ

思春期は激動の時期……
その話は後日に……

親を大切に……😄




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