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罪悪感とその帰責性について

 人は、自分がその生涯で何を為したかについて、誇りと自信を持つ生き物だと思います。その一方で、何を為せなかったかについても、一生後悔するのでしょう。

 ここから先はちょっとウザいと思う人も方も多いと思うので、お気に触るようでしたら無視して下さい。

 本人に帰責性のない罪悪感はたくさんあります。例えば、終戦当時6歳だった父は、はるか昔に同い年で戦争孤児となった「駅の子」の記憶にずっと心を痛め続けていました。そしてある程度経済的に余裕のできた中年になった時にはすでに日本は恵まれていたので、その償いに世界の恵まれない子供に寄付をし続けていました。 

 そう、私が高校生になった頃はバブル全盛期で、高校では調理実習の際に家庭科の先生から、「経済大国(米国に続く第二位)のお嬢さんなんだから、シャケの切り身はもっと大きく」とか嫌味っぽく言われてたんですよ。今となっては考えられないと思います。
(*当時、家庭科は女子限定)

 私自身は、「親孝行、したいときに、親はなし」の格言通り、今は両親や近しかった叔母に、「なぜもっと優しくできなかったのか?」という気持ちに、日々苛まれています。これははっきりと本人に帰責性があります。

 何が言いたいかと言うと、これからご縁があって親しくさせていただく方には、死ぬときに自分が後悔しないよう、出来る限り誠意を持って接したい、と思っているんですよね。

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