多動児でした

子供の頃はよく怒られていました。親からも先生からも、毎日の様に怒られていたと思います。
でも、何で怒られているのかさっぱりわかりませんでした。
私は悪くないのにこの人達はいつも私を怒る、ああ、この人達は私の事が嫌いなんだ、と悲しい気持ちになっていたのをよく覚えています。
勿論、今になって思えば、怒られる様な言動をとっていたのだと思います。でも、当時はさっぱり理解できませんでした。

子供の頃の通知表なんて、見返すのも恐ろしいです。一応まだとってあるのですが、触りたくもありません。
そこには、毎年書かれていた、落ち着きがありませんの文字。
とにかく静かな時間が流れるのが苦手でした。
授業中のあのしん…とした空気感がとても苦痛でした。
何だか回りの空気が、私を責めているかの様な圧迫感を感じるのです。

じっとしていると、身体はどんどん重くなり、だるくなります。足は虫がはったようにムズムズしてきて、動かさずにはいられなくなります。
肩を上下に動かしてみたり。足を交互に動かしてみたり。椅子をがったんがったんと動かしてみたり。
そうしていないと、頭をかきむしりたくなるような焦燥感に襲われるのです。
気がついたら椅子ごと教室内を移動していた、なんて事もありました。

授業妨害ですよね。怒られて当然です。
周りのお子さん達が普通に座っていられるのが不思議でした。
三年生位になると、動く体を抑えるために、正座して椅子に座っていたのを覚えています。

何故じっとしていると不安になってしまうのでしょうか。
理由のひとつに、私は皆の真顔が怖かったのではないかと思います。
真顔=怒っている、と連想されてしまうのだと思います。思い込みですね。
授業は先生の話を集中して聞く場なんだから、誰も私にニコニコしてくれたりなんかしないんだよ、というのをわかっていなかったんだと思います。
そして相手が怒っているとなると、それは自動的に私のせい、という風になります。
理由なんていりません。いつも理由なんてわからずに怒られているのですから。

真顔の人は怒っている訳ではない、集中して勉強したり仕事をする時、人は真顔になるんだというのを理解できたのは、高校生位だったでしょうか。
理解できても、真顔の人は怖かったです。やっぱり私は何かこの人を怒らせてるんじゃないだろうかと挨拶もろくにできませんでした。
今は全然平気になりました。

大人になって。静かな場所でじっとしていても、周りの空気は私を責めなくなりました。
むしろ優しい安心感を与えてくれます。
長い時間じっとしていれば、体を動かしたくなる事もありますが、それは恐らく普通と呼ばれる範囲なのではないかと思います。
多動は消えたのでしょうか。

いいえ、消えていません。別の形になって残っています。
それはまたの機会に書かせて頂きたいと思います。

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