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おおきなことより、ちいさなこと。

きょうもまた、会社でこの話になった。

遅筆と速筆についてである。もはや胸を張っていえるくらいにぼくは、筆が遅い。効率がわるく、生産性が低い。そんなぼくと5年間も一緒に働いているバトンズ田中さんは、段々と「速筆」ではなくなってきた。むかしに比べ、あきらかに速筆ではなくなってきた。仕事中よく「うーん、うーん」みたいな声を出しているし、ため息も漏らす。いいぞいいぞ、とぼくは思う。

かつて超速筆のライターだったぼくは、年間18冊の本を書いていたぼくは、おそらく自分のことを「うまい」と思っていた。「筆が速い」の前提には、確実に「うまい」があった。

そして自分は「うまい」のだから、一気に、気分で、ノリで、いつもの感じに、バーッと書いちゃってもだいじょうぶ、と思っていたのだ、きっと。

もっとことばを選ばずに言うなら、こころの奥底、それと知らないところで「おれはうまいから手を抜いてもだいじょうぶ」と思っていたのだ。


いまぼくは、自分のことを「うまい」とは、まったく思っていない。下手だと思っているわけでもないけれど、ちょっとでも手を抜いたらすべて台なしになる程度の筆力だと、自覚している。

だったら、できることは「手を抜かない」、それだけだ。

手を抜かずにがんばった結果、むかしよりも筆が遅くなったとしたら、それは誠実さのあらわれだとも言える。もちろん締切——つまりは約束——を守れないのはダメだけれど、ぼくらにできることは手を抜かないこと、ほんとにそれだけだよと、ぼくは思っている。


以前にも書いた話だけれど、ぼくは「おおきなことを言ってる人」よりも、「ちいさなことをやってる人」を尊敬するし、自分もそうありたいのだ。