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ノーベル賞と生産性。

吾輩は風邪である。診断はまだない。

風邪の諸症状ってやつは、どれもいかにも鬱陶しい。たとえば、鼻が出る。喉が痛んで咳が出る。微熱が続いてぼーっとする。もしもこれが腕を骨折したとかであれば、話はわかりやすい。たぶん箸も持てないだろうし、靴紐も結べない。いますぐ病院に駆け込んで、なんらかの治療してもらわないと日常生活が危ぶまれる。ところが風邪は、箸が持てるのだ。靴紐が結べるのだ。いまぼくがこれを書いているようにキーボードだって打てるのだし、鼻が出ようと咳が出ようと日常生活に支障はないのだ。

ただ、鼻や咳が出たり熱が続いたりしていると「調子」が悪い。風邪の諸症状とは、ひとえに「調子の悪さ」であって、それゆえタチが悪いというか、場合によっては骨折以上に、仕事のクオリティを低下させる代物なのである。

むかしから「ほんとの風邪薬を発明したらノーベル賞ものだ」といわれる。

以前のぼくはそれを、ちょっと極端な戯言だと思っていた。なんなら「風邪薬は風邪そのものを治療する薬じゃないんだよ。炎症やらなんやらを抑制するだけの対症療法なんだよ」という雑学を披瀝せんがための言説なのだと思っていた。だって、風邪より先に特効薬を開発しなきゃいけない病気、たくさんあるじゃん、と。


けれども、世界中から、この「病気」と呼ぶにはもやもやしい「調子の悪さ」を一掃する特効薬が発明されたら、あらゆる分野の生産性アップにおそろしいほど寄与するだろうなあ、と思う。

つまり、調子が悪いきょうのおれは、びっくりするほど生産性が低いのだろうなあ、と。

ノーベルの喉飴を舐めつつ、明日までには治します。