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失われていない30年。

カレンダーを見るまでもなく、11月である。

なぜカレンダーを見るまでもないかといえば、10月末日の昨日が、ある原稿の(ある章までの)締切だったからである。もちろん、書けていない。ぜんぜんと言ってもいいほど、書けていない。いや、これは編集者さんにちゃんと、数週間前にしっかりと断ったうえでの話だ。10月のぼくは、突発的に入ってきた別の原稿に追われていたのだ。そちらにようやくメドが立ち、これから大急ぎで本来の原稿に取りかかる。

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どういうきっかけだったのか忘れたけれど、このところ就寝前のベッドで、初期の『美味しんぼ』を読んでいる。1983年10月30日号が、そのスタートらしい。

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まだ「究極vs.至高」の対決もはじまっておらず、主人公・山岡士郎がとんでもない不良社員で、「グルメ版ブラックジャック」とでも呼ぶべき雰囲気を漂わせたこの時代の『美味しんぼ』は、ほんとうにおもしろい。

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読み進めていくなか、物語とぜんぜん関係のないところでおもしろいのは、1980年代当時の「食」の認識だ。

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「失われた20年」とか「失われた30年」とか、みんな簡単に言いたがるけれど、少なくとも食べものに関していえば、平成の30年間でものすっごくおいしくなったし、豊かになったんじゃないかなあ。「失われていく味」みたいなものも当然あるだろうけどさ、それ以上に「生まれてくる味」がどんどん出てきた30年だと思いますよ、平成って。いや、この10年とかの単位で考えても。

ぼくは海外旅行先を選ぶとき、いちばん最初に「食べもの」を考える人間なんだけど、たとえば「グーグルやアマゾンを生んだ国」よりも、「お寿司やラーメンを生んだ国」のほうが住みたいし、かっこいいと思うんだよなー。