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熱いと冷たい、そしてぬるい。

熱い涙、という言いまわしがある。

たとえば「あふれる熱い涙」とか、「熱い涙が止まらない」とか、「おまえの熱い涙を」みたいな呼びかけだとか。このへんのフレーズ、みんなどこかで耳にしたおぼえがあるんじゃないかと思う。

この「耳にしたおぼえがある」という表現は意図的なもので、小説やエッセイのなかで「熱い涙」に遭遇することは稀である。散文ではなく、もっぱらポピュラーソングの歌詞として流れ落ちるのが「熱い涙」なのである。目にしたことはなくとも、耳にしたことはある。そういうことばなのだ、「熱い涙」は。

そしてポピュラーソングのほとんどは、ラブソングである。すなわち我々は恋愛期間のいずこかで「熱い涙」を流していることになる。とはいえ、恋がはじまるドキドキ期間中にいきなり号泣するのは、さすがに歌の主人公として情緒不安定が過ぎるだろう。恋の終わり、別れのシーンにおいて流していると考えるのが普通である。

うれしいはずがない。けれど、悲しいだけじゃない。じんじんに熱くなった目頭が、ついに涙までも熱くして心を燃やす。そういう状況で流れているものだと想像する。


それでは一方、「冷たい涙」というのはあるのだろうか。

探せば案外あるもので、たとえばティーンエイジ・ファンクラブには、そのものズバリとも言える「Tears Are Cool」という隠れた名曲がある。しかしながらまあ、ここで歌われる意味としては「涙って冷たいな」ではなく、「涙ってクールだ(カッコイイ)な」なのだろう。

あるいはまた、フィリップ・K・ディックの名作『流れよわが涙、と警官は言った』の涙も、温度を持たない涙というか、冷たい涙に分類できそうだ。

もちろんほかにもたくさんあって、いま検索したところによると尾崎豊さんの歌詞や、村上春樹さんの小説、林芙美子さんの小説などでも「冷たい涙」は流れている。


そうすると今度は「ぬるい涙」を探してみたくなるのだけど、どうだろう。

熱くもなく、冷たくもなく、かといって体温と同じ(生理学的な正解)というわけでもない、微妙にぬるい涙。なにかに感動して、または悲しいことがあって流れているはずなのに、一向に熱くなってくれない涙。

ただでさえエモーショナルな存在である涙には、「ぬるい」がいちばんおもしろい組み合わせな気がする。