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読みものとしてのレシピ本。

わが家にも何冊かの、レシピ本がある。

「かんたん」であることを銘打ったり、「とっておき」であることを銘打ったり、「きほん」であることを銘打ったり、「フライパンひとつ」でできることを銘打ったりと、さまざまな種類のレシピ本たちが、わが家にもある。

本のなかには当然、見たことのないような料理も載っている。写真で見るかぎり、とてもとてもおいしそうなのだけれど、いまいち味の予想がつかない異国の料理。いかにも創作でございます、というカラフルな料理。名前しか知らない高級料理。いろいろだ。

けれどもぼくがレシピ本で好きなのは、焼きそばだとか、豚汁だとか、餃子だとか、お好み焼きだとか、カレーだとかの、「レシピを見るまでもない料理」だったりする。B級グルメが好き、というわけではない。いつも自分がつくっている料理。何度となく、何十年となく、つくってきた料理。そのレシピを見るのが好きなのだ。

これらのレシピにおいて、自分とまったく同じつくりかたが紹介されていることは、まずない。自分とは違うやりかたで、あるいは自分とは違う素材でもって、その料理をつくっている。場合によってはていねいに「一般的には○○を使いますが、△△を使うと香りが立っておいしくなるんです」みたいな説明書きが添えられていたりする。

それが「目からウロコ」なのだ。読みものとして、おもしろいのだ。


知らない料理について懇切丁寧に解説されたレシピ本は、どうしても「憶えること」が作業の中心になる。プラモデルや本棚の組み立て説明書を見るがごとき態度で、本と睨めっこする。

しかし、いつもの料理についてのレシピ本は、「自分との違い」を読むだけでいい。見よう見まねでやってきた自分の誤りを知ったり、改善点を知ったり、「お店ではこうやっている」を知ったりと、いろんな驚きがあり、発見がある。いまは読むだけでかまわない。「次につくるとき、やってみよう」ができるのだ。材料を並べた夕食前の台所ではなく、ソファで読んでもおもしろいのである。

レシピ本って、いつかチャレンジしてみたいんだよなー。その料理をつくるため、本のとおりに再現するためのレシピ本ではなくて、ただただ読みものとしておもしろいレシピ本。「知ってたつもり」がひっくり返る、人文書みたいなレシピ本。

忙しいときほど「やりたいこと」が湧き出てきます。