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わたしの生活、きのうの話。

仕事の話ばかりを書いている。

仕事場で、仕事のあいまに、仕事用のパソコンで書いているのだから、そうなるのも仕方がない。もしもこれが自宅で書くものだったら、もう少し生活に寄った内容になるだろう。けれどもぼくにとっての生活とはほとんど犬であるからして、犬の話ばかりを書きかねない。ワーク・オア・ドッグ。それがわたしという人間、その人である。

それでもまあ、きょうは生活の話をしよう。


きのう、定期検診のため病院に行った。病院に行く日は、マスクをつける。ひさしぶりのマスクは、思いのほか心地よいものだった。いったいなにが、心地よいのか。考えるにそれは、口や鼻が乾かないことの心地よさであるようだ。呼気とともに漏れ出る湿気が、マスクのなかに塞き止められる。そして吸い込む空気に湖面を渡ってきたような湿度を与え、ほのかに口を潤す。ということはつまり、空気の乾燥がはじまっているのだ。地下鉄の階段を降りながらぼくは、ひとりうんうんと頷き、秋の訪れを詠嘆した。

病院に着くと、待合室の椅子が変わり、その配置が変わっていた。これまではベンチ状の長椅子がいくつか置かれているだけだったのに、一人用の椅子が教室みたいに同方向に、等間隔で並んでいる。誰とも対面することのできない仕様になっており、なるほどこうすれば飛沫が顔や手に付着することもないのだろうなあ、けれどもこの並びはいかにも窮屈だなあ、とスマホを取り出す。

スマホがなかった時代、ぼくは病院や美容院に文庫本を持ち込んでいた。髪を切られているあいだ、そして診察室から名前を呼ばれるまでのあいだ、黙してそれを読んでいた。そう考えると読書って、なにもご立派な修養の営みではなく、もっと単純にひまつぶしだったんだよなあ、と思う。

一時間ほど待ったあと、ようやく名前が呼ばれる。

担当医に、先日よそで受けた人間ドックの結果を手渡す。担当医は「へー、へー、うん、うん」などと言いながら、主要項目をパソコンのカルテに打ちなおす。尿酸値におおきな改善が見られたらしく、ジムに通いはじめたせいかもしれませんね、なんて言われる。「このまま続けましょう」。


病院を出るとなぜか、健康に関して気が大きくなる。具体的には、腹が減って、ジャンクな大衆料理を食べたくなる。駅の近くにある大戸屋で、チキンカツ定食を注文する。間もなく隣の席に野暮ったい大学生風の男性がひとり座り、彼もチキンカツ定食を注文した。こういうとき、わけもなく恥ずかしい気に襲われるのはぼくだけだろうか。ドミグラスソースのかかったチキンカツに、ほんの数滴醤油をたらし、おれオリジナルの料理であるかのようなふりをする。当然チキンカツは無駄にしょっぱかった。

夜は野菜だらけの鍋。これが「ゆで野菜」なんて名前の料理だったら顔をしかめて敬遠しそうだけれども、いざ「鍋」となればよろこんでぱくぱく食べる。名前は大事だ。