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ブルースを踊れ

きのう、少しだけ自分の就活について書きました。と、そこでひとつ大きな話が漏れていたことを思い出したので、きょうはその話を書いてみようと思います。映画監督の道をあきらめ、小説家になろうと思うまでのほんの一瞬ではあるけれど、ぼくは音楽ライターになろうと思ったことがあったのでした。

いまよりも「洋楽」がぜんぜん偉かった時代、具体的にいうとCDが登場する前の、レコード全盛の時代。当時から何千枚にもおよぶ良質な洋楽ばかりを聴き漁っていたこともあり、オーディエンスとしての自分の耳には、それなりの自信をもっていました。また、サブカル少年の常として、ロックとは聴くものである以上に考えるものである、とも信じていました。

たとえば、ロックとはなんぞや?

これは、ロックに魅入られた10代なら誰しも一度は考えるテーマでしょう。当時のぼくも当然考え、ひとつの結論に達していました。すなわち、ロックとは「ブルースを踊ること」である、と。

彼女が出ていって寂しいとか、かあちゃんが浮気したとか、これ以上働きたくねえんだとか、こころならずもアメリカ南部に移り住んだ黒人たちによる、嘆きの哀歌として生まれたブルース・ミュージック。そのどうにもならない(あえてこのことばを使いますが)女々しさをビートに乗せ、哀しみを「ダンス」という能動によって吹き飛ばさんとするやけっぱちな試みのことを、ロックと呼ぶのだ。つまりロックとは、永遠に敗者の音楽なのだ。10代の終わりから現在に至るまで、この定義は揺らぐことなく自分のなかに生き続けています。

そんな面倒くさいサブカル男子だったぼくのこと、好きなバンドのライナーノーツを書くことは大きな夢でしたし、それができなくとも音楽雑誌のライターとしてロック評論家の道に進むことは、趣味と実益を兼ね備えた最良の道にも思えました。

しかし、就活を間近に控えたぼくは思ったのです。いま、自分はこんなにロックを愛している。全財産をそこに注ぎ込んでもなんら惜しくないほど、そして好きなバンドについては誰にも語らせたくないほど、狂おしく愛している。でも、40歳になった自分はどうだろうか。いまの自分と同じ温度でロックを愛し続けることができるだろうか。この「熱」は、いつか冷めてしまう類いのものではないのか。もしも冷めてしまったとき、仕事だからとロック音楽の原稿を書いているおっさんの自分は、いまの自分を裏切ることにならないか。お前はそういうおとなが嫌で、ロックにすがってきたんじゃなかったのか。

あれだけ熱狂のさなかにありながら、ぼくはこころのどこかで、この「熱」が一過性のものであることを自覚し、いつか終わりがやってくる刹那的な季節を生きているのだと知っていたのです。

事実、フリーランスになって極端に収入が低くなった20代の一時期、真っ先に削っていったのは、新刊を買うお金ではなく、新譜を買うお金でした。以来、一度現場を離れてしまったぼくは、あのころのようにロックに時間とお金を使うことはなくなり、いま買う新譜はせいぜい年間10枚あまり。むかし買った旧譜を延々と聴きまくる、レイドバック野郎となっています。

でもね。

たぶんこれからの人生でもう一度か二度か、思いっきりブルースを踊りたくなるときがやってくるんだろうと思うんですよ。いや、「青春を取り戻せ」とか「あのころの輝きをもう一度」とかではない、ほんとうにロックを必要とするときが。

こころからそれを必要とするひとのもとに、必要とされるタイミングで舞い降りる。それがロックというものでしょう。ロックンロールは終わらない、のですよ。