見出し画像

郵便ポストを考える。

出さなきゃならん書類がある。

この場合の「出す」にはおおきく3つの種類がある。ひとつは PDF を添付するなどして電子メールを送信する、というもの。ふたつめは、ヤマトや佐川の宅配業者に電話をして、集荷にきてもらうもの。そして3つめが、おのれの足でてくてく近所の郵便ポストまで歩いていって、コトン、と投函するもの。当然ながら面倒臭さのハードルは、郵便ポストがいちばん高い。

そしてもう何週間も、仕事机のうえに社会保険関係の封筒が置かれている。ぐずぐずしているあいだに提出期限は刻一刻と迫っている。


と、こんな書きぶりからすると「すべての書類は電子化するべきだ」的な、「いまどき郵便ポストだなんて、オワコンにもほどがあるぜ」的な論を展開しそうなものだけれど、そうじゃないのだ。好きなのだ、ほんとうは郵便ポストが。

ポストのなかに、ハガキや封筒を落とす。入れるのでもなく、置くのでもなく、中身の見えない暗闇にコトンと落とす。あの、落とした瞬間の「あっ、大丈夫だったかな?」「書き間違えたりしてないよな?」「これでちゃんと届くかな?」みたいな不安と、どこか大仕事を終えたような、社会の一員になれたような、清々しさ。いや、ぼくだけかもしれないけれど、赤い郵便ポストにハガキや封筒を落とすあの感じは、ほんとに大好きなのである。

ついでに言うと、選挙で投票を終えたときの清々しさも、けっこうな割合で投票箱への「コトン」が影響していると思う。自宅からの電子投票は便利だと思うけど、あの清々しさはなくなってしまうだろう。


じゃあ、さっさと目の前の茶封筒を投函しに行けよ。という声は当然あるだろうけど、ぼくは郵便ポストをめざして歩く、あの道のりが嫌なのである。投函を忘れないよう、ハガキや封筒を(ポケットのなかなどで)握りしめ、寄り道はおろか雑念を抱くことさえ許さぬ決意で一心に、ずんずんずんずん郵便ポストをめざす、あの薄い緊張感が嫌なのだ。

ええ、ええ。きょうの話は誰からも賛同されないことくらい、わかっていますよ。お仕事のプレッシャーはわりと歓迎するけれど、プライベートではなるべくプレッシャーを感じず生きていたいのです、ぼくは。たとえそれが「ぜったいポストに投函するぞ」程度のプレッシャーであっても。