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サプリメントと神さま。

「目、肩、腰に」をキャッチフレーズとするビタミン剤がある。

効果のほどは知らない。毎日飲んでいるけれど、どれくらい効いているかはわからない。けれども現代人が疲れを実感しやすい箇所といえば、まさしく目と肩と腰であって、うまいこと考えたものだなあと思う。

うまいこと考えたといえば、サプリメント全体がそうだ。たとえば偏頭痛に襲われたとき、ぼくらは消炎鎮痛剤を服用する。効いたとか効かなかったとかが、わりと明らかになる薬だ。花粉が増えたときに飲む抗アレルギー剤もそうだし、食べすぎた際に飲む胃薬だってそうだ。

一方、サプリメントというやつは即日で劇的な効果をもたらす医薬品ではない。あくまでも健康補助食品であって、30日とか3ヵ月とかの継続的な服用によって徐々に体質改善を図る、という理屈のもと販売されている。

それで律儀に3ヵ月の服用を続けたところで、「いやあ、3ヵ月前に比べて快活になったなあ」なんて実感できることは、まずありえない。3ヵ月前の自分がどんなだったかなどとっくに忘れているし、3ヵ月が経過した現在であっても調子の良い日もあればそうでない日もある。

とはいえ、毎日それまで以上のビタミンCだのBだのを摂取していることに間違いはないはずで、そうした継続の事実だけを頼りに「多少はマシになっているはずだ」と信じる以外にない。

そしてまた、ここでの信心には「目的を設けないこと」が大切である。

たとえば現在、ぼくは膝の不調に悩まされているのだけれど、だからといってコラーゲンだのコンドロイチンだのの健康食品を飲むことはしない。それが役に立たないことは、さすがに知っているからだ。

しかし一方、特定の目的を設けず、ただぼんやりとビタミンCやBの錠剤を飲むことには「なにに効くかは知らんけど、身体に悪いはずはないし、なんかプラスになっているのだろう」というぼんやりした効果を期待しやすい。

それはどこか、初詣の神社で「いろいろうまくいきますように」と祈願する姿に近い。特定の神さまを思い浮かべるでもなく、特定の願いごとを唱えることもなく、ただ「いろいろうまくいきますように」。近年の自分は、かなりそれに近い態度で初詣を済ませている。

つまりサプリメントとは、「受験の神さま」や「縁結びの神さま」などではない、近所のなんでもない神社に初詣する自分みたいな人間が飲む、まさしく健康の補助食品なのだ。これといって祈願すべきことが思いつかないから、そのすこやかなる健康を補助しようとしているのだ。

なんか目が痛い、という話を書こうと思ったのに、へんな方向に話が転がった。しょせん現在の目の痛みも、その程度ということである。