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ストック癖という名の貧乏性。

あんドーナツという食べものがある。

うちの高校の学食では、「あげあん」の名前で売られていた。もちろんこれは小倉あんを揚げた食べものではなく、小倉あんを包んだ小麦の生地を、ほどよく揚げた食べものである。「あげあん」の名は、不正解である。

じゃあ、福岡大学附属大濠高等学校の学食は、あんドーナツの名前であれを販売すればよかったのか。おそらくそれも違うだろう。なぜならドーナツとは一般的に、ぽっこり真んなかに穴のあいた、リング状の揚げもののことを指しているはずで、あんドーナツと呼ばれるあれには穴があいていない。穴をあけたら小倉あんがこぼれだし、それこそ「あげあん」になってしまう。あげあんになろうとすればあんドーナツになり、あんドーナツになろうとすればあげあんになる。それが「通称あんドーナツ」の正体である。


……こんなどうでもいい話をしているのは、いま会社にドーナツが4つ、残されているからだ。「通称あんドーナツ」ではない、Uber Eats で注文したクリスピー・クリーム・ドーナツだ。注文する際、3個入りと6個入りを選ぶことができた。迷いに迷ったぼくは、6個入りを注文した。到着後、ひとつは田中さんにあげて、ひとつは自分が食べた。コーヒーを淹れなおし、これを書き終えたらもうひとつ、食べようと思っている。しかし、さすがにそれ以上は入らない。おそらく、とぼとぼ自宅に持ち帰るのだろう。今晩、さらには明朝、続きをもぐもぐ食べるのだろう。

だったら3個入りを注文すればいいじゃないか、と自分でも思う。けれどもぼくは、それができない人間なのだ。

たとえばサッポロ一番みそラーメン。わが家には、常時だいたい、サッポロ一番みそラーメンとしおラーメンが備蓄されている。スーパーなどで販売されている、5個入りパックが開封された状態で、棚におさまっている。そしてもし、みそラーメンが残り1袋になったら、もうぼくは気が焦る。やばいやばいやばい。買わなきゃ買わなきゃ買わなきゃ。最後の1袋が残っているうちに、また5個入りパックを買い足す。買ってしまえば安心安心、1か月くらい食べないままのことだって、まるでめずらしくない。

こうしたストック癖を持った現代人は、わりと多いのではないだろうか。自宅の飲食物だけではなく、たとえばボールペン、替え芯、封筒、万年筆のインク、カッターの刃、乾電池、ガムやセロハンのテープ類、クリアファイル各種、ティッシュペーパーにコーヒーフィルター。会社のなかを見渡してみても、ありとあらゆるものが過剰に備蓄されているのではないだろうか。

少なくともぼくの場合、いつでも準備万端の男であるためにこれらの品々をストックしているのではない。いざという場面で「あー、切らしてた!」と歯噛みしたくないから備蓄しているのでも、たぶんない。うまく伝わるかわからないけど、これは一種の貧乏性なのだ。

不要不急な品々を購入するのだから、当然そのぶんお金は消えていく。だから、金銭的な意味で貧乏だとか貧しいと言っているのではない。ぼくのいうストック癖を持つ人の貧乏性とは、「機会の貧乏性」なのである。


せっかくだから、これも買っておこう。

あれを買うついでに、これも買っておこう。

わざわざ来たんだから、いちおう買っておこう。

どうせ送料は変わらないんだから、これもカートに入れておこう。


そういう、買いものなり外出なり手間なりの、「機会」に対するもったいない魂、つまり貧乏性がぼくの購買欲をあおり、けれどもさほどほしいものもないので「いつかかならず使うもの」をたくさん備蓄させるのだ。

ストック癖とは、ものぐさの証なのである。


いやー、なんにも書くことがないと思ってドーナツの話からはじめたんだけれど、意外とどうにかなるもんですね。

さ、ドーナツ食べよ。