写真とことば、ことばと写真。
犬を飼いはじめてから、ドコノコとは別に、少しずつインスタグラムを再開しはじめた。
ぼくはツイッター上でフォローしてる人の数がけっこう少ないほうだと思うのだけど、それはただただネガティブな発言に触れるのが嫌で、そこで消耗したくないから、という理由が大きい。そしてフェイスブックという場所でも、やはりネガティブな発言に触れる機会が多く、疲れるなーと思うことがある。
もちろん、SNSで語られるべき大切な社会問題、みたいなものもたくさんあるのだろう。でも、しょせんぼくにとっては「ひまつぶし」として眺める場所なので、プラカードを掲げて行進するようなことばより、居酒屋のカウンター席で聞かされるようなことばより、なんらかの「芸」があることばに触れていたい。
一方、ドコノコとインスタグラム。
ことばという使い慣れたツールと違い、写真というツールはネガティブな感情を発露することがむずかしい。だからみんな、基本的にポジティブな感情や、よろこびの瞬間を切りとった一枚を投稿している。愚痴をこぼすような写真、怒りをあらわにするような写真、誰かをバカにしたり攻撃したりする写真というのは、たぶん技術的にかなりむずかしいのだろう。
ライターという職業につきながらこんなことを言うのもおかしな話だけど、みんなもっと「ことば」から離れてもいいんじゃないかな。なにかの写真を投稿して、そこに「♡」マークがつけられて、それくらいのあやふやな以心伝心で済むこと、いっぱいあるんじゃないのかな。
ことばのような写真と、写真のようなことば。
そのふたつについていま、ゆるゆる答えを探しながら考えています。