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やめるはやめるで、たいへんなのだ。
もう、タイトルのとおりの話である。
ぼくは普段、出社して、原稿以外の諸業務を片づけたのち、「さあ、あとはこれだけだ」と当日分の note に取りかかる。これを書き終えれば、仕事に入れる。原稿だけの世界に入っていける。そんな気持ちで note の画面を立ち上げる。
画面はすがすがしいほどに真っ白で、書くべきことなどなにも浮かばない。書きたいことも、とくにない。
それでも結果的に毎日書いているのは、「ほんとは書くのが好き」でも「ほんとは言いたいことある」でもなく、書くと決めているから、ただそれだけである。ぼくの場合、「毎日書いてみようかな」と思って書きはじめたものではない。「毎日書く」と決めて、書きはじめたものなのだ。
ダイエットから禁酒・禁煙に至るまで、継続が苦手な人は「決め」ていないのだと思う。「思って」いるだけで、「決め」ていない。ぼくも惰性のままにだらだら続けている悪癖・悪習慣は多々あるけれど、それらについては「やめよう」と思っているだけで、「やめる」と決めていないのだろうな、と思う。
いま、本の原稿が佳境に入っている。この一年ずっと佳境だったとも言えるのだけど、いよいよラストスパートに入った実感がある。過去の習慣にならえば、そろそろホテルに泊まり込んで、部屋から一歩も出ない大合宿を開催するくらいの時期だ。
このモードに入ったら、note の更新もやめてしまうのではないか、と思っていた。今回の本は、自分にとってものすごく大事な本だ。note の更新に割いている時間や労力は、積み上げて考えれば決して馬鹿にならない。最後の最後、ラストスパートの時期にあたってはその覚悟を示すためにも、ほかのぜんぶを——つまりは note やその他を——やめてしまうのではないか、と思っていた。けれども今日もこうして更新しているのは、毎日書くと決めてしまったからだ。
「書かない」や「やめる」については、そう「決める」だけの材料がまだ、自分のなかに足りていないのである。