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会えば会うほど好きになる人。

やっぱり、後悔が混ざるんだよなあ。

きのう訃報が届いた、岸辺四郎さん。岸部さんとは以前、本をつくったことがある。テレビ発の、なかなかおもしろい企画だった。なにかのテレビ番組で、「出版業界版・マネーの虎」的な企画が組まれた。「虎」となるのは、それまでタレントさんの告白本をいくつも大ヒットに導いてきた、幻冬舎の見城徹社長。それに対して、複数のタレントさんが「わたしの告白本」企画をプレゼンし、もっともすぐれた「告白本」を実際に出版する、という番組だった。

たしか4人くらいのタレントさんが出演し、それぞれ告白本のタイトルと内容をプレゼンしたと記憶している——そのうちのひとりは石田純一さんで、彼がプレゼンした告白本のタイトル案は「裸足」だった。

そんななか、ひとり異彩を放っていたのが、当時自己破産の自虐キャラで人気だった岸辺四郎さんである。彼は言った。


「ほら、最近いろんなところで、ポジティブ・シンキングが大事やって言うじゃないですか。悲観的になるな、なんでも前向きに考えろ、ポジティブな人にこそ、運は巡ってくるんやって。ぼくも言われますよ。シローちゃん、そんな暗い顔しとらんと、もっと明るうなれって。苦しくても前向きにがんばってたら、いつか報われるよって。でもね、ぼくからしたら、そういう言葉がいちばんキツイねん。何億も借金して、番組降板して、自己破産して、前向きになれるかっちゅうねん。ポジティブ・シンキングとか、いらんのですわ。疲れるだけやねん、そんなの」


ひとしきりポジティブ信仰への呪詛を述べきったのち、彼がフリップに書いてみせたタイトル案、それが……




『うしろ向き』だった。




完ぺきである。天才であり、圧勝である。

岸部さんは当然のようにコンペを勝ち抜き、告白本出版の権利を手に入れた。その後、ライターとしてぼくが招かれ、いろいろあって若干当初の企画から姿を変えながら、その本は出版された。2006年、ぼくが年間15冊つくっていたころの一冊だ。

取材中、ウッドストック世代でもある岸部さんの好きな、60年代後半〜70年代前半あたりのアメリカンロックについて、たっぷり話し込んだ。沢田研二というスターが、どれだけまぶしいスターであったのか、饒舌に語って聞かせてくれた。自虐もボヤキも(ほんとうに!)多い人だったけれど、決して不幸話にせず、こちらが笑えるところにちゃんと落としてくれた。まるでこちらの期待する「岸辺四郎」を演じるかのように、取材中何度も「ほんま、この本が百万部とか売れてくれるとええんやけどねえ」とか「ねえ、売れると思いますか? ここまでの話を聞いて。ぼく、どうしても思えへんねんけど」と呟いていた。

あのとき、間髪入れず「売れます!」「売ります!」と言える自分だったらよかったのになあ、と思う。年間15冊とかの狂ったスケジュールのなかではなく、あの本だけに半年や1年集中してつくれていたらなあ、と強く思う。


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このタイミングで書くべき話か迷ったものの、書きました。

会えば会うほど大好きになる、ほんとにおもしろい、素敵な人でした。

謹んでご冥福をお祈りします。