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宝くじが当たることを前提に生きる。

言うとおどろかれることも多いのだが、宝くじを買っている。

しかもサマージャンボや年末ジャンボを記念購入するのではなく、自分で数字を選ぶロトくじを毎回、定期購入している。銀行のオンラインサービスのなかに定期購入の申込みページがあり、それを利用している。

宝くじは、わかりやすくギャンブルである。全体で見れば主催者が儲けて、買う側が損をするようにできた正真正銘のギャンブルである。そこにお金をかけている時点でかしこい人たちからは鼻で笑われそうだ。

それでも律儀に買っているのは「突然宝くじが当たった人」になってみたいからである。

突然に宝くじが当たった人、とくに億単位の大金を労せずせしめた人は、なぜか不幸になると言われている。会社を辞め、散財した挙げ句に、手持ちの金を使い果たし、それどころか借金まで抱えて路頭に迷う人。「大金を引き当てたらしい」との情報が家族や親類、友人たちに漏れまくり、人間関係がめちゃくちゃになってしまう人。あるいは当選情報を隠し通さんとするあまり、極度の人間不信におちいり、結果として不幸せになってしまう人。さまざまなる末路が世間では語られる。

はたして自分の手元にドカンと大金が転がりこんできたとき、自分も都市伝説的に語られる彼らと同じ末路を辿るのだろうか。それとも数億円のビッグウェーブを上手に乗りこなし、あるべき幸せを獲得するのだろうか。そこのところを知りたくて、せっせと宝くじを買い続けている。


もう少し詳しく説明しよう。うちの会社は、青山一丁目の駅近くにある。オフィス街のようでありながら、マンションもたくさんある場所だ。ときどき会社に入ってくるチラシによると、近隣マンションの価格は中古であっても数億円がざらである。なので仮に宝くじで5億円当たっても、そのマンションを買ってしまえばもうおしまいだ。また、世のなかには何千万円もするスポーツカーもあれば、美術品もある。そういうのをポンポン買っていくだけでも、宝くじの一等賞金などすぐに消えてしまうだろう。

で、こういう「大金をつかって、でかい買いものをする」ことにぼくは、あまり魅力を感じない。そんなのだれにだってできるじゃん、と思ってしまうからだ。金さえあれば。

一方、考えていておもしろいのは「どうやっても赤字になる姿しか見えないんだけど、やればぜったいおもしろい事業」である。しかも、金さえあればだれにでもできることではなく、いまの自分にしかできないんじゃないか、と思えるようなこと。儲かる道が見えないから保留にしていること。そういうものの姿を考えることは、ほんとうにおもしろい。夢が広がる。

そして「金さえあればやるんだけどなあ」という事業を、チャレンジを、それなりの真剣さをもって考えていけば、いつか宝くじが当たってくれるのかもしれないし、宝くじの幸運なしでも実現可能な道を見つけられるのかもしれない。

宝くじが当たることを前提に、アイデアをふくらませていく。これは自分の脳みそを狭い檻にとどめさせない良案であるようにぼくは思うのだ。