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親切心ということば

すばらしいな。村上春樹さんが、文章を書く極意として「親切心」ということばを挙げていました。書いてもなかなか思いが伝わらない、という読者からの相談に対して「親切心です。それ以外にありません。親切心をフルに使ってください。それが文章を書く極意です。おもねるのではなく、親切になるのです。」と。まったくそのとおりだよなあ、と思ったので、きょうは親切心について、ぼくなりの無味乾燥なことばで書いてみたいと思います。

なにかについて文章を書く。あたりまえのことではありますが、その文章を書くのは「わたし」ですよね。そして、たとえばぼくが昨夜乗ったタクシーの運転手さんとの会話について書こうとした場合、それがどんな会話だったのか、それからぼくがどんなことを思ったのか。このへんの諸々を知っているのは、70億人もいるらしい人間のなかで「わたし」だけなんです。

だとすれば、なにかを書くこと、書いた結果としてなにかを伝えようとすること、というのは「Aについてを知っているひとが、Aについてを知らないひとに向けて送る、長かったり短かったりの手紙」なんですよ、きっと。少なくともぼくは、そう理解しています。

Aについての諸々を知っているのは、「わたし」だけ。傲慢になることもなく、孤独に襲われることもなく、まずはこの事実から出発しなければなりません。

じゃあ、「わたし」以外の誰も知らないA(多くの場合は「わたし」の気持ち)を誰かに伝えるとき、どうすればいいのか。ここで浮上するキーワードが「親切心」なのでしょう。これでちゃんと伝わってるかな? 誤解されてないかな? 最後まで読みたいと思ってもらえるかな? 教養なんてうそぶいて、相手の知識に甘えてないかな?

きみの文章は下手だね、とは言いたくないけど、きみの文章は親切心が足りないね、だったら言えそうな気がします。そういえばヴォネガットも言ってましたよ。「愛は負けても、親切は勝つ」と。愛だの情熱だのは「わたし」ばかりを見る気持ち。親切だけは、いつも目の前の「あなた」を見ている。親切心、忘れないようにしたいです。