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桶屋のわたしの損得勘定。

風が吹けば桶屋が儲かる。

いまのことばで言うと、バタフライエフェクトみたいな話だ。どこかで吹いた小さな風が、めぐりめぐって桶屋を儲けさせる。どういうからくり、まためぐり合わせによって桶屋が儲かるのかをあらためて調べると、けっこうにひどい話が書かれている。なのでまあ「風が吹いたらいろいろあって桶屋が儲かるんだな」くらいで憶えておいたほうがいい。

損得勘定、ということばがある。打算的な人は何事につけ損得勘定をもとに生きていると蔑まれたり、「損得勘定抜きでやります!」が美しいことであるかのように語られる。価値とは損得を超えたところにあるもので、損得で判断するのはよくないことだとされている。

しかしながらこの数年、積極的に損得を考え、儲けを考えることが大切じゃないか、という気がしている。

たとえば2年前の夏、ぼくは「バトンズの学校」というライタースクールのようなものを開校した。それなりの時間と労力を投じる試みであり、会社にとっては事業でもあったわけで、さすがに無料というわけにはいかない。当然ながら授業料を頂戴した。

ここで考えたのが、「それで誰が儲かるのか?」である。

もしも学校によって「おれ」が儲かるのであれば、それは学校のありかたとしてよろしくない。おれ(またはバトンズ)ではなく、「受講生」が儲かるような場を、つくらなくてはいけない。ぼくはそう考えた。

儲かると言っても、仕事をあっせんしたり、投資案件を紹介したりといった直接的な儲けの話ではない。学びだったり経験だったり気づきだったりの、なかなか数値化できない儲けが、受講生のみなさんにあること。簡単に言えば、授業料をはるかに上回る価値が、そこにあること。そんなふうに考えて学校のカリキュラムを組み、課題やフィードバックのありかたを練り上げていった。

これは本にしても同じで、たとえば一冊の本を書いて受け取る原稿料(初版印税)があったとき、感覚として大赤字であることが望ましい。いや、原稿料なり印税率なりが低く抑えられるのは絶対にダメなんだけど、そこはちゃんと設計してもらわないと困るのだけど、書き手よりも読み手のほうが儲かるような本にしないと、その本は価値を持たないのだと思う。1500円なら1500円以上の中身がほしいし、3日間かけて読むのなら3日間かけた以上のなにかがほしい。買って損した、読んで損した、はダメだろう。

で、そうやって「相手のほうが儲かる」を続けていった結果、どこかで風が吹いてわたしという桶屋が儲かる日も訪れるのではないか。そんなふうに思うのである。

誰がどう考えても「おれ」が儲かる仕事ってのは、けっきょく儲からないというか、やってておもしろくないんじゃないかなあ。