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それでもいちごのショートケーキを。

あれはどこで読んだ話だったっけなあ。

自分の記憶力を呪いながら書く。どこかで読んだのではなく、テレビで見た話だったかもしれない。あるパティシエさんの告白である。ヨーロッパの権威ある賞を受賞したこともあるその方。都内の一等地にご自身の名前を掲げたお店をたぶん複数構え、そちらの方面にくわしくないぼくでも知っていたほどの有名人である。

そのパティシエさんがインタビューに答え、こんなことを語っていた。


曰く、「いちごのショートケーキは出したくなかった」と。


日本のパティスリー、すなわちケーキ屋さんにおいて圧倒的な一番人気は、やはり「いちごのショートケーキ」である。けれども自分が欧州で学んできたケーキは、そういうものではない。もっと繊細で、もっと職人的で、もっと専門的なケーキを自分は学んできた。この文化を日本に持ち帰ろうと意気込んでいた。でも、でも、だけれども、お客さんはみな「いちごのショートケーキ」を求める。あれもいいし、これもおいしいけれど、やっぱり定番のものとして「いちごのショートケーキ」を求めてくる。欧州には存在しないあれを、求めてくる。お客さんの期待には応えたいし、これがあると経営的にも安定する。いま自分は、複雑な思いで「いちごのショートケーキ」を出している。

……雑すぎる記憶をもとに要約すると、そんなお話だった。

職人として考えるならば、その気持ちはわかりすぎるほどによくわかる。特に「本場」と呼ぶべきその道の聖地があり、そこで修業を積んできた身であれば、なおさら「日本にもこの文化を」の思いが出るだろう。「いつまでもあんなケーキに甘えてんじゃねえよ」とすら思うだろう。

しかし一方、お客さんの立場で考えてみると「それは困る」だ。仮にそのパティシエさんが天才的な技術を持ち、つくるケーキのすべてがおいしかったとしてもお客さんとしてのぼくはそこで満足せず、むしろ「この人がいちごのショートケーキをつくったら、どんな味になるんだろう」を想像してしまう。それはもう「三つ星のフレンチシェフがつくるハンバーグを食べたい」みたいな欲だ。

そしてまた、迷いながらも最高の「いちごのショートケーキ」をつくろうとするパティシエさんを、ぼくは尊敬したいし自分もそうありたい。見たことない料理ではなく、飽きるくらいに見慣れた料理のなかで「食べたことのない味」ができれば、そんなにかっこいいことはないと思うのだ。