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後半戦とマスク、そしてある本の話。

後半戦、突入である。

プロ野球の話ではない。ペナントレースはセ・パ両リーグとも、残り数試合のファイナルカウントダウンだ。大相撲の話でもない。大相撲九州場所は、来月中旬からの開催だ。後半戦に突入したのはそう、バトンズ・ライティング・カレッジ、通称「バトンズの学校」である。全8回を予定している講義中、ついに第5回が先日開催された。

やっていて、やっぱり「マスク」が邪魔だなあ、と思ってしまう。

正直なところ、この後半戦に入ってようやく、受講生のみなさんの顔と名前が一致するようになってきた。それはぼくの物覚えの悪さに加えて、やはりマスクの影響が大きい。もしもマスクのいらない時代に出会えていれば、ぼくとてもっと早くみなさんの顔と名前が一致しただろう。そして「あの人」が書いたことを絵として思い浮かべながら読む原稿には、また違った感想が出てきたかもしれない。おそらく残りの3回の講義、仮にすべてリアル開催できたとしても、マスクを外すことはかなわないだろう。まあ、そういう時代に出会ってしまったことを、前向きに捉えていくしかない。


と、そういえば。

最近就寝前に少しずつ読み進めている『Humankind 希望の歴史』。とにかくおもしろい本なのだけど、そのなかに以下のような話があった。

人間の眼球は、瞳(黒目)に対して白目がおおきい。ほかの動物はほとんど瞳だけが瞼から覗いているのに、人間は瞳と白目の両方が見えている。これは「目の動き」を相手に知らせ、いわば「目で会話する」ためにそうなっているのだそうだ。

——なるほどなあ、と思った。そしてマスクをしていてもかろうじて非言語のコミュニケーションが成立するのは、白目のおかげであり、もうちょっと抽象的なことをいえば「余白」のおかげなんだなあ、と。

まだ下巻の途中までしか読んでいない、まさしく後半戦の段階なんだけれど、ひさしぶりに「買ってでも配って歩きたい本」だ。


そうだよなあ。「買ってでも配って歩きたい本」をつくらないとなあ。