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こんなプランを立てていた。

糸井重里さんとの対談連載が、本日終了した。

このタイトルについて、編集を担当してくださった「ほぼ日」の永田泰大さんは、『古賀史健の腹筋』とどちらにするか最後まで悩んだと、冗談交じりに教えてくれた。いずれにしても「ほぼ日」さんでしかありえない、個人的にも学びの多い対談になり、コンテンツにしていただいた。


いまだから白状すると、『取材・執筆・推敲』という本には当初、本文とは別に糸井重里さんへのインタビューを掲載できないかと考えていた。糸井さんに「取材」「執筆」「推敲」への考えをそれぞれインタビューし、それを3つに分けて掲載する。あまりご自分から「書くということ」について書いたり語ったりされない糸井さんの考えを知ることもできるし、インタビュー原稿のサンプルとして提示することもできる。きっと長大で濃密なものになるであろうぼくの本文の合間——具体的には第一部、第二部、第三部、それぞれの締めくくり——に話体によるインタビューが入れば、小休止の代わりにもなる。おお、最高じゃないか。と、そんなふうに考えていた。

けれども、それが糸井さんのことばを借りながら自説の正当性を訴えるような見え方になっては意味がないし、これだけ大上段に構えた本なのだから、ことばの責任は自分ひとりで引き受けるべきだろう。そう思い至り、インタビュー挿入のプランを打ち消したのだった。


なのでこの日の対談では、ぜひとも糸井さんの考える「取材・執筆・推敲」についてお話を訊きたかったのだけれども、もちろんこれは「糸井重里へのインタビュー」ではなく、対談だ。ぼくの本が刊行されるタイミングに合わせて設けてくださった、対談だ。お互いがお互いに取材し合うような、ちょっと不思議な場になり、結果的にとてもおおきなところにまで話が及んだ。

ああ、それにしてもいつか、なにかのかたちで糸井さんに取材と執筆と推敲について、しっかりインタビューしたいなあ。それをちゃんとしたコンテンツにまとめたいなあ。いや、たぶん取材前の目論見からおおきく外れた現場になるだろうし、コンテンツになるだろうけれど、その転がりっぷりも見てみたいんだよな。


糸井さん、永田さん、ほぼ日のみなさん、どうもありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。