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わたしのブルーマンデー。

高校生のころ、ぼくはサッカー部だった。

いまどきの学園漫画やネット記事を読むと、サッカー部の連中というのは、とにかくいけ好かない存在らしい。学校のなかでも威張っているし、カッコつけているし、いろいろチャラいし、最悪なことにモテる。そういう存在として、サッカー部は描かれる。

けれどもJリーグ誕生以前のぼくの時代、サッカー部はぜんぜんそんな存在ではなかった。とくにうちの高校は野球部が甲子園の常連で、柔道や剣道、バスケ部も強かった。サッカー部は、ぼくの代まで一度も全国大会に出場したことがなく、しかも男子校だった。モテる要素など、ひとつもなかった。高校3年生のときに運よく全国大会出場を果たすも、やはりモテとは無縁の集団だった。


さて。うちの高校の近くには、大濠公園という1週2キロの、おおきな公園があった。そしてぼくらはほとんど毎週の月曜日、その公園で10キロ走をやらされた。通常どおりの練習がおわったあと、10キロ走るのだ。監督は全員分のタイムを記録し、当然それは(レギュラーとして使われるかどうかなどの)評価の基準にもなる。ぼくはたしか、40分台前半で走っていた。

そんな月曜日の練習は、ほんとうに気が重いものだった。普段どおりにボールを使った練習をしながらも、あたまのどこかでずっと10キロ走のことを考えている。体力を温存しなきゃと思いながらも、レギュラーではないぼくに手を抜くほどの余裕はない。そして練習が最終盤に差しかかって「ああ、もうすぐ終わるぞ」と安堵しかけても、それは「もうすぐはじまる」の恐怖に取って代わられる。終わらなきゃ、はじまらない。終わったら、はじまってしまう。あの、あたまも身体もまっしろになる10キロ走がやってくる。


長い長い本の原稿を書きながらぼくはいま、あの月曜日の感覚を思い出している。原稿がいよいよ最終盤に差しかかり、「ああ、もうすぐ終わるのかもしれない」と思いながらも、「ああ、はじまっちゃうんだよなあ」の恐怖に打ち震えている。書き終えてしまったら、推敲という名の長距離走が待っているのだ。

世間で語られるものとは違った意味で、これをぼくは「月曜日の憂鬱」、つまりは「ブルーマンデー」と呼んでいる。