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いま、もう一度紹介したい本。

瀧本哲史さんと一緒につくった、『ミライの授業』という本を紹介します。

刊行は2016年。オンライン書店では軒並み「在庫なし」になっていますが、いまでも重版はかかり続けているし、kindle 版もあります。巻末に掲載した参考文献だけでも80冊くらい、それ以外の本まで加えると100冊を超える資料にあたりながらつくった労作です。

で、そういう「労作」は往々にして駄作に転ぶことが多いものですが、瀧本さんや担当編集・加藤晴之さんの導きもあり、この本はとても読みやすく、個人的にも大好きな一冊となりました。


ひらたく言うとこの本は「偉人伝」です。

過去の歴史においておおきな変革を成し遂げた20人にスポットを当て、彼らの足跡をたどりながら「ミライを変える法則」を探っていく、偉人伝アドベンチャーです。

4年近く前の本をいま紹介しようと思ったのは、ここで採り上げられている変革者たちの人選が、とっても「いま」にフィットしているから。


たとえば、ナイチンゲール。

「白衣の天使」として知られる彼女は、看護師である前に統計学者でした。そして戦場で亡くなっていく兵士たちのほとんどは——戦闘で負った傷ではなく——感染症を原因として亡くなっていることを突きとめ、「動かしがたい事実」としての膨大な統計データをまとめあげ、ヴィクトリア女王直轄の委員会にそれを提出し、病院・病棟における衛生管理の改善につとめた女性でした。


あるいは、高木兼寛。

日清・日露戦争時に日本軍を苦しめた「脚気」と戦った海軍医です。当時の日本では、脚気の原因について、陸軍医の森鷗外らが主張する「脚気菌説」と、海軍医の高木兼寛らが主張する「栄養不足説」で、議論がまっぷたつに分かれていました。

この顛末は有名な話でもあるので詳細は省きますが、非常におもしろいのは、伝統的なドイツ医学を学んできた森鷗外らは、「まずは病気のメカニズムを突きとめて、そこから治療法を考える」というアプローチだったこと。結核やコレラと同じく「脚気菌」がいるはずだと考えていた森鷗外らは、脚気菌が見つかるまでなにも対処ができないし、脚気菌などいないのですから永遠になんの手も打てないまま脚気の蔓延を見守るほかありません。

これに対して、イギリス医学を学んでいた高木兼寛らは「ひとまず、理屈はどうでもいい」という考え。日本海軍では蔓延している脚気が、イギリス海軍ではほとんど流行っていない。だったらイギリス海軍と同じ行動様式をとってみよう。具体的には、食事を洋食に切り替えてみようと、文字どおりに「論より証拠」のアプローチをとるわけです。理論よりも——ナイチンゲール以来の——統計学的な証拠を重視する、エビデンス・ベーストの医学。なんだか、いろいろと考えさせられます。


さらに、大村智さん。

いま、新型コロナウイルスの治療薬としての可能性が期待されている「イベルメクチン」を開発したノーベル生理学賞・医学賞の受賞者です。

大村さんのおもしろさは、その経歴。農家で生まれ育ち、第一志望の大学には落第し、第二志望だった大学での4年間は部活(スキー部)に明け暮れ、大学卒業後は高校の夜間部で理科の先生をやっていた、「ものすごく普通の人」です。その彼がどうやってノーベル賞を受賞するような化学者になっていったのか。ぜひ『ミライの授業』で確かめてください。


そして、アイザック・ニュートン。

彼がケンブリッジ大学に在籍していた当時、ヨーロッパ全土をペストが襲いました。大学は閉鎖に追い込まれ、ニュートンも故郷の田舎町に避難せざるを得なくなりました。そしてペストの猛威がおさまるまでの1年半、彼は研究に明け暮れました。当時のことを振り返ってニュートンは、こんなふうに書いています。

「あの日々は、わたしの発明の才能の最盛期で、あれ以来、あのころ以上に数学と哲学に打ち込んだことはありません」(ピエール・デ・メゾーへの手紙)



自分の関わった本を読み返すことはあまりしないのですが、この本は何度も読んじゃうんですよねー。そしてやっぱり、思うんです。いま瀧本さんがいたらこの状況をどんな視点から、どんなふうに分析するんだろうって。

それを考えることが、瀧本さんが残してくれた宿題なのかな。