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いちばん身近な豊かさの砦。

図書館の話をしよう。

前にも書いたことがあるけれど、24歳の夏にぼくは会社を辞めた。あわてて名刺をつくり、フリーランスのライターだと名乗った。しかしながら名乗ったところで仕事がくるわけではない。ただでさえ少なかった貯金は、毎月おもしろいように目減りしていった。

それでぼくは、音楽CDの購入をやめた。なので1998年以降にデビューしたミュージシャンについては、いまでもあまり詳しくない。そして定期購読していた「群像」と「文學界」も解約した。単行本の購入もあきらめ、書店では文庫だけを買うようにした。「文庫化決定!」の報せを、首を長くして待ちわびた。

そうしていつしか図書館通いがはじまった。図書館を利用するなんて、大学の卒論以来のことだった。豊島区の、さほどおおきいわけでもない図書館。それでも蔵書は立派なもので、たくさんの本を読むことができた。書店さんではお目にかかれないような古い本、絶版本も、たくさんあった。人生でいちばん本を読んでいたのはあのころだったと、断言できる。さまざまな本に救われた時代でもあるし、図書館に救われた時代でもある。


そういうわけでぼくは、ぼくの本を図書館で手に取ってくださった方々に対して、ただただ「ありがとうございます」としか思わない。それは古書店で手に取ってくださった方々に対しても同じだ。「買ってほしい」よりも先に「読んでほしい」があるから書いているのだし、みなさん実際に読んでくださっているのだから。


さて、ほんとうに書きたかった話はここからだ。

いま書いたように、自分がお金に困っていた時代を引き合いに出しつつ図書館のよさを語ると、まるで図書館が「貧者の避難所」のように映るかもしれない。お金がない人が利用する場所、くらいに思う人もいるかもしれない。

でも、違うのだ。

本を読みたい、という気持ちがあること。読みたい本を探すために、わざわざそこへ足を運ぶこと。さらに忙しい暮らしをやりくりして、本を読む時間を確保していること。そしてそうした人びとの欲求に応えるべく、社会全体が無料でその場を提供していること。図書館法の第17条、いわゆる「図書館無料の原則」が堅持され、あらゆる人々に読む機会が保証されていること。

これこそが「豊かさ」なのだと、ぼくは思う。

お金の豊かさじゃない。こころの豊かさであり、知ることや考えること、そしてたのしむことの大切さを信じる豊かさであり、それを支える社会全体の豊かさだ。もしかすると図書館は、いちばん身近なところにある豊かさの砦じゃないかと思うのだ。

それに実際、図書館をたくさん使ってきた人とそうでない人の書くものは、豊かさが違うはずだしね。