見出し画像

ぜったいにやる、と言うしかない。

あれは2013年の夏だったのか。

2020年の夏期オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったとき、ぼくは平々凡々たるフリーランスのライターだった。2020年なんて、いかにも遠い未来に感じられた。そしてぼんやり、「そのときにはぜひ、オリンピック関係の仕事がしたいなあ」と思った。たとえば「Number」みたいな雑誌で観戦記を書かせてもらえるような、そういうライターに2020年までになれるといいなあ、と思った。

それから7年が経過した2020年。残念ながらぼくのもとに、そういう依頼は届かなかった。開催延期が決まったのが3月だったので、もしかしたらそこから夏までのあいだになんらかの依頼があったのかもしれないけれど、まあ普通に考えて「なかった」だろう。だから、なんとなくぼくにはオリンピックやパラリンピックへの出場がかなわなかった選手たちに自分を重ねるようなところがある。手を挙げたわけでもないくせに、「うーん。呼ばれなかったかあ」と肩を落とす感じが、薄々ながらも確実にあるのだ。


来年、つまり2021年にオリンピックやパラリンピックが開催されるかどうかは、まだわからない。開催に反対する人たちの気持ちも、よくわかる。主催者サイドの人たちが「ぜったいにやる」「やりぬく」みたいな発言をくり返すたび、批判の声があがる。ありえない、この状況がわかってるのか、と怒られる。

でも、オリンピックやパラリンピックにかぎらず、おおきなプロジェクトってのは、1%でも「やる」可能性があるかぎり、リーダーは「ぜったいにやる」としか言えないものだ。「ぜったいにやる」前提で、全力で準備を進めるからこそ無事に開催できるのだし、トップが「やるかもしれないし、やらないかもしれない」なんて言っているようでは、本気の準備が整わない。心のなかでどう思っているかは別として、対外的には100%の「やる」か、同じく100%の「やらない」しかありえない。いわんやアスリート側の準備もあるオリンピックやパラリンピックの場合、開催の可能性が完全なゼロになるまで「ぜったいにやる」としか言いようがないものだろう。


という壮大な話に比べるとちっぽけすぎる話題なのだけれども、ぼくの会社でも来年にひとつ、「ぜったいにやる」ことを決めた。ぜったいにやる前提で年始からいろいろと動きはじめる予定だ。また年明けのどこかでお知らせするけれど、来年のバトンズは、おおきな転機を迎えると思っている。

それではみなさまよいお年を。今年も一年、ありがとうございました。