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ホームランを打ったことのある人。
たらればさんのツイートがきっかけで、ホームランについて考えた。
ホームランって、打ったことのあるひとにしか打てないものなんだと思います。そして最初のホームランは「(たくさん打席に立ってたら)打てちゃった」ものなんだと。 https://t.co/gvC0nTSWgS
— 古賀史健 (@fumiken) May 30, 2019
ホームランっておもしろい。たとえば本がたくさん売れることを「ヒット」と言う。もっともっとたくさん売れたら「大ヒット」だ。どこまでいってもそれは「ホームラン」になりえない。英語の意味はともかくとして、ホームランはそれだけ特別なヤツなのだ。
ぼくは野球経験がほとんどないので、ホームランを打ったことがない。
サッカーの経験はあるけれど、公式戦でゴールを決めたことがない。
あったらどうだったんだろうなあ、と思う。たぶん、いまでも夢で思い出したりするんだろうなあ、と思う。でも、あのときの「打てなかった」もまた、いまのぼくをつくっているんだろうなあ、ともつよく思う。
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仕事に置き換えていうと、ぼくは「あのときのあれはホームランだった」と思える本が、少ないながらもいくつかある。打ったときの手応えを、しっかり憶えている。だからこそいまでも強い球を打った瞬間に、「でも、レフトフライかも」と思える自分がいる。あのときの感触に及んでいないと、冷静にわかる。毎打席ホームランなんてできるはずがないけれど、打球のゆくえを追わずともホームランか外野フライかの判断がつくようになったのは、ありがたいことだと思っている。
一緒に組む編集者にもまた、できれば「ホームランを打ったことのある人」であってほしい。そうすれば原稿を手放す前に、打球がバットから放たれる前に、「まだホームランじゃない」がわかり合えるはずだから。
ホームランを打ったことのない人の打撃理論は、ぼくにはいらない。打ったことのある人は、みんなそう思っているはずだ。