脱稿ということばの意味について。
深い考えもなしに、脱稿ということばを使っている。
原稿を書き上げることを指して、辞典でその意味を確かめぬまま、「脱稿した」と呼んでいる。国語辞典はいろんな種類があれど、なんだかんだとぼくがいちばん頼りにしているのは、国内最大級のヴォリュームを誇る「日本国語大辞典」(小学館)だ。先ほど気になって「脱稿」の項を調べてみた。
と、そこには「草稿ができあがること。原稿を書き終えること。」とある。
口語にするならこれは、「脱稿ってのは普通、草稿ができあがることを指すよね。まあ、原稿を書き終えることをそう呼んだりもするけれど」くらいの書きぶりである。
念のため「草稿」の項を引くと今度は「文章の下書きをすること。また、その下書。草案。原稿。」とある。
同じく口語にするとこれは、「草稿ってのはまあ、文章の下書きをすることだよね。下書き自体を『草稿』って呼ぶこともあるし。ま、草案みたいなものさ。あ、原稿のことをそう呼ぶ人もいるみたいよ。知らんけど」ほどの解説であろう。
けっきょく脱稿とは、「下書きが終わった」くらいの意味でしかないのかもしれない。
じゃあ、言おう。
脱稿した。
誰がなんと言おうともう、脱稿した。
これ以上の修正は、ゲラの上でしかやらない。「書けたっ!」と思えるところまで、その確信が揺らがないところまで、行きつくことができた。推敲という名のジグソーパズルのピースが、最後の一枚まで完ぺきに埋まった。ただの大著じゃない、すごい原稿ができたと、自分でも思う。
来週からは、図版や脚注その他の細部を詰めて、(尊敬する)装幀家さんとのコラボレーションを含め、「すごい原稿」を「すごい本」にしていく作業に入る。まだまだ先のことなれど、プロモーションのプランも練りまくる。
たしかに脱稿は——本というコンテンツ全体にとっては——下書きができたくらいの場所でしかない。「本づくり」の本番は、ここからだ。