見出し画像

キング・オブ・フルーツの思い出話。

今年の春ごろ、台湾パイナップルが話題になった。

政治的なあれこれで、いま台湾と当地のパイナップル農家が困っているらしい。台湾の人たちには10年前の震災時、あたまが下がるくらい全力で支援してもらった恩がある。あのときの恩を、いま返そう。そんな感じで多くの人が台湾パイナップルを購入した。ご多分に漏れずわが家でも購入し、何度も何度もリピートした。いまでもスーパーの果物売り場に行くと、台湾パイナップルを探す自分がいる。

そこにはもちろん恩返しのうれしさもあるのだけど、それ以上に台湾パイナップルはうまかった。最初に食べたときぼくは「これ、マンゴーよりうまいんじゃない!?」と言った。言ってはじめて、自分のなかでのキング・オブ・フルーツがマンゴーであったことを知るに至った。


マンゴーという果物の存在を知ったのは、中原めいこさんのヒットソング『君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。』(1984年)である。

当時田舎の小学生だったぼくは、キウイもパパイヤもマンゴーも食べたことがなかった。いや、見たことさえなかったかもしれない。果物といえばリンゴであり、ミカンであり、梨やスイカやぶどうであり、背伸びをしてメロンだった。

それでもぼくは、自分が飽食の時代に生きている実感があった。キウイもパパイヤもマンゴーも知らないけれど、自分はぜいたくな時代に生きている。なぜなら父から、たくさんの「お父さんが子どものころは」話を聞かされていたからである。

父が子どものころ、なによりぜいたくであこがれだったフルーツは、バナナだったそうだ。バナナの香り、濃厚でクリーミーな甘味、やわらかな食感、片手に持って食べる恰好よさ、あらゆるものがこの世のものとは思われず、バナナを食べる機会に出くわすと、それはそれは大事に食べたのだという。こんなにおいしいものはほかにない、と信じきっていたのだという。

ちびっ子のぼくは父からその話を聞くのが大好きで、何度も何度も「ねえ、バナナの話をして」とせがんでいた。聞くたびにバナナの絵を思い浮かべ、子どもだった父を想像し、自分まで「こんなにおいしいものはほかにない」と思えてしまうのだ。当時はもう珍しくもない果物だったはずのバナナが。


で、思うのだけど、ぼくはマンゴーのことをキング・オブ・フルーツと思っていながら「はじめてマンゴーを食べたとき」の記憶が、あまりない。おそらくそれは、ある程度の大人になってから食べたせいだろう。

子どものころ、いちばんびっくりした食べものはなにかなあ。


うーん、意外とマクドナルドのマックフライポテトかもしれない。びっくりしたよー、あれは。いまでも何年かに一度くらい、びっくりするもの。