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定年のない仕事の、定年のない時代だからこそ。

記憶違いだったらごめんなさい。

ずっとずっと前に、村上春樹さんが「ドストエフスキーの全盛期は50代だった。だから自分も50代はがんばりたいんだ。この10年が勝負だと思っているし、無駄にしたくないんだ」といった意味のことを(もちろんもっと素敵な言い方で)おっしゃっていた。たぶん村上春樹さんで間違いないと思うし、めざす先としてドストエフスキーを挙げていたこともたしかだと思う。でも詳細はまったく自信がないので、話半分で聞いていただけるとありがたい。

話半分と言いつつも、50代に突入した自分にとってこれは、おおきな励みとなることばだ。ドストエフスキーは59歳で亡くなっている。亡くなる直前の10年間がもっとも充実していた作家人生というのもすばらしい。

一時期、「プログラマー35歳定年説」なることばが盛んに語られた。なにを根拠にそういってるのか知らないけれど、それ以上に年齢を重ねると、時代の変化や仕事のスピードにうまくついていけなくなる、ということなんだろう。

プログラマーほど市民権を得ていないライターの仕事でも、「ライター40歳定年説」を語る人はむかしからいた。

これは技術や体力の衰えもさることながら、発注者であるところの編集者がみんな年下になり、すなわち自分が「扱いづらい中年」になって仕事が来なくなる、という側面から語られることの多いことばだ。

たしかに編集者からすると、同世代や自分より年少のライターに依頼したほうが気も楽だし、あれこれとリクエストもしやすい。原稿料だって若い人のほうが低く抑えられるだろう。わざわざおっさんに声をかける理由はないのだ。上がってくる原稿が同じならば。


でも、どうなんだろう。そういう「○○歳 定年説」を語る人って、あんまり相手にしなくていいと思うよ、というのが50代を生きるぼくの正直な気持ちだ。本人がバリバリの現役だったらそんなこと思いもしないだろうし、むしろ上を見て「50代こそが全盛期」とふんどしを締めなおすのだろうし。

それでたぶん、自分が60歳の扉を叩いたら、60代でバリバリに活躍した先人を見つけてきて「あの人は60代こそが全盛期だった。おれも」となるんだろうし。人生100年時代、それは100歳まで続いたっておかしくないもの。


だれのことばを信じるか、だれに自分は私淑するのか。才能の何割かはここにかかってると思うのです。