見出し画像

ぼくは若者なのだ、きょうも。

いったい、若者とはなんなのか。

若者だったころ、ぼくは何度もこの問いについて考えていた。人生のなかにおいて、あるいは社会のなかにおいて、自分が特別な場所にいることは自覚していた。ほどなく消えてしまうであろう輝きのなかに身を置いていることは、理解できていた。それにしては暗いぞ、とも思っていたけれど、ひとまず大切な時間を過ごしているのだと思っていた。ここで見たものを忘れちゃならんぞ、とも。


若さとは、経験を先行する知識である。


あるとき、そんな定義に行きついた。性のことにしろ、社会のことにしろ、仕事のことにしろ、多くの若者はそれについて、経験よりも先に知識を手に入れる。知識だけでわかったつもりになり、あれこれ語る。知識で補えないところについては、貧弱な空想を織り交ぜ、より「ほんとう」から遠のいていったりもする。

一方、大人たちは経験からものを語る。経験のことばはつよく、説得力もある。けれども自分が経験したことのないものごとについては、途端によわくなる。過去の「似た状況」を思い出し、その経験に基づいて判断を下すから失敗も多い。

経験の偉大さ、どでかさに敬意を払いながらもぼくは、経験だけのおじさんにはなりたくないなぁ、とずっと思ってきた。自分のストックが「過去の経験」だけになってしまう前に、どんどんあたらしい知識を取りにいって、いつでも少しだけ知識が経験を先行する自分をつくっていなきゃなぁ、と思ってきた。


そんなぼくに、朗報である。

1973年生まれ、来月で46歳になるぼくは、この歳になって貴重な初体験に遭遇した。


喉の奥に、巨大な口内炎ができたのである。


口内炎といえば、唇の内側や、せいぜい舌の根本にできるものだと思っていたのに、いきなりドンッと喉の奥にできた。そして扁桃腺が腫れ、翌日からは声が出なくなり、熱も出た。なにかあぶない病気なのでは、と耳鼻咽喉科を訪ねたところ、「痛いのはこれですかー?」などと口内炎をピンセットで突くサディスティック・ドクター。彼によると、魚の骨やせんべいの角などで喉が傷つき、口内炎になってしまうことも多いのだという。また、そうでない場合は感染性によるものだろうと。

いやー。こんなところに口内炎ができるなんて、知らなかったなあ。ぼくはまだまだ若者だったのだ。