オーケー、そろそろ認めよう。
認めてしまえば、楽になる。
取り調べ室で自白を促す刑事のセリフではない。たとえば中学生時代、なんとなく気になる女の子がいる。気がつけばその子のことばかりを見てしまうし、笑ってくれたらうれしい。目が合うだけで胸がどきどきする。男友達とふざけあっているときも、視界の端でその子の目を気にしている。なぜだろう、なぜかしら。
ここで「ぼくはあの子のことが好きなのだ」と認めてしまうと、いろんなことが楽になる。どきどきも、あたふたも、すべってばかりの冗談も、すべては「好き」のせいなのだ。しばしば中高生の恋で形容される「甘酸っぱさ」とは、自分の「好き」を認めるまでの不確かなこころの動きを指すのだと、ぼくは思っている。
さて、いまのぼくが認めるべきは恋ではない。
どうやら最近、ぼくは疲れているようだ。それも体力の話ではなく、こころの話として、疲れているようだ。そろそろこのへんは、認めておいたほうがいい。
こころが疲れる原因は「ぷん」だと、ぼくは思っている。
誰かに対する、ちいさな不満。自分に対する、ちいさな不満。そんなにおおきくはなくても「ぷん」と腹を立ててしまったり、ヤだなと感じてしまうこと。ひとつびとつの「ぷん」はちいさくとも、積み重なると「ぷんぷんぷんぷんぷん」。それは名状しがたいストレスとなる。それぞれどんなことについて「ぷん」としたのか忘れてしまっても、いや忘れてしまったからこそ、持ち場のないストレスが胸のなかを黒く染める。
次の週末、晴れてくれたらなあ。
犬と一緒に昼間から、たのしくあそびに行けたらなあ。
こいつの笑顔を見ていると、すこしだけこころの黒が薄まっていく。