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夢をなくした大人たち、メモを取ろう。

夢とメモは、よく似ている。

おそらくほかと比べてぼくは、かなり頻繁にメモを取るほうだと思う。それはライターという職業柄でもあり、忘れっぽいからでもある。たとえば車の運転中に思いついたアイデアの欠片、すなわち「いいこと」を、降りるころにはもう忘れていたりする。さっさと路肩に車を停めてメモを取るなどすればいいのだけれど、「こんなにすばらしいアイデアなのだから忘れるはずがなかろう」というあなどりが、ぼくに「いいこと」を忘れさせる。それゆえなにかを思いついたり、おもしろい言葉や考えに出合ったりしたときには、状況の許すかぎりメモを取るようにしている。

とはいえ、たとえば人との食事中に「いいこと」を思いついたとして、おもむろにペンとメモ帳を取り出してあれこれ書きはじめるのは、少し気が引けるものだ。あるいは混雑した電車のなかで、また道を歩きながらメモ帳に書き込むのも、ややむずかしい。そこで最近は多くの人と同じように、スマホを使ってメモを取るようにしている。短いメモであれば Gmail の「下書き」に保存して、長くなりそうなものはボイスメモを使って声でメモを取る。とても便利だ。

そうやってたくさんのメモを取っていると、あとで見返したときに意味不明の端書きが発見されることがある。本日発見したのは、


「部位はわかりませんが鶏肉が届いています」


というメモだった。誰かに宛てたメールの下書きでもなく、自宅や会社に鶏肉が届いたおぼえもなく、なのに敬語で特定の誰かに伝えるように実用的な口調で書かれた謎の端書き。アイデアの欠片とは到底思えない文言だ。

ここで話は冒頭に戻る。すなわち、夢とメモはよく似ていると。

誰かの語る「こんな夢を見たんだよ」の話は、9割方おもしろく聞けない。以前にも書いたことがあるけれど、シュールで支離滅裂で摩訶不思議な夢というのは、ほとんどの場合「ほかならぬオレ」がそんなものを見ている、また「ほかならぬオレ」の脳内にそんな奇天烈が展開している、という謎やギャップがおもしろいだけなのだ。

つまり夢という名の劇場には、「オレ」ひとりぶんのプレミアムシートしか用意されておらず、そこに他人を招き入れることは、立ち見席で素人の演じる不条理劇を見せるような所業なのである。

これは意味不明なメモにもまったく同じことが言えて、先ほどの「部位はわかりませんが鶏肉が届いています」にしても、それを心底不思議に思えるのは「ほかならぬオレ」ひとりであり、本来ここに書くべき話題でもないのである。

ではなぜ書いたのかというと、「夢とメモは似ている」を説明するためであり、「子どものころは摩訶不思議な夢をたくさん見ていたけど、最近は夢を見ることが少なくなったし、見ても即物的な(昨日の記憶をなぞるような)夢ばかりだ」という大人たちには、ぜひたくさんのメモを取ることを推奨したい。いつかの自分が取った意味不明なメモは、ちょっとした白昼夢だと思うのである。