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見当違いとむち打ち症。

原稿が進んでくれない。

他力本願な言い草のように聞こえるかもしれない。進めるのはお前だろ、とおこられるのかもしれない。けれどもこちらのやる気にかかわらず、進むときには進み、進まぬときには進まない。それが原稿というものであり、人生というものなのかもしれない。

原稿が進まない理由は、わりとはっきりしている。明確にいくつか、挙げることができる。

ひとつは、どうでもいいような(けれどもどうでもいいはずのない)些事に追われ、なかなか原稿ひとつに集中する時間や空間を確保できない、というパターンである。打ち合わせ、メールの返信、請求書や契約書や公的書類の作成・発送、その他もろもろである。もしもこれらがいっさいなく、つまり「書くだけ」の時間と空間を確保できたなら。そんな願いを具現化した行為が「カンヅメ」であり、宿やホテルに行くだけでなにが変わるというのか、と首を傾げる方々も多いだろうが、変わるのだ。犬さえいなければぼくも、今晩からでもカンヅメしたい(とはいえ犬のいない日常をぼくは、もはや想像することもできない)。

続いて、原稿が進まぬもうひとつのパターンは、見当違いである。感覚的な話なので感覚的に書くしかないのだけれど、たとえば「この原稿はたぶん、こっちに進むんだよなー」と中空の、右の上あたりをぼんやり眺めている。ぐぐっと目を凝らせば、ゴールまでの道筋が、転がる話の展開が見えてくるような気がする。けれどもほんとうのゴールは左上方向に待っていて、自分はおおきな見当違いをしている。せっかく右上の道が見えそうになっていることもあり、もう一歩で道がつながりそうな予感もあって、なかなか首が左を向いてくれない。なんならもう、左を見たくない。

こういうときにはいっそ、むち打ちを覚悟でぐりっと、強引に首を左に向けるしかない。練りまくり、書きはじめ、書きあぐねていた大量の原稿をバサバサと、こころのシュレッダーにかけるしかない。


暗い話を書いているように聞こえるだろうか。

わりと明るい話を書いているつもりである。「さすがにもう、こっちに道はないかー」と明るく見切りをつけ、首を左に向けてみたところなのだ。