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引越をして、よかったね。

打ち合わせの帰り、ひさしぶりにそのビルの前に立った。

去年の冬までオフィスを構えていた、渋谷の雑居ビルだ。老朽化のあまり、取り壊しが決定してぼくらはこのビルを退去した。駅からも近く、1階にはコンビニがあり、各フロアの共用部分に男性用・女性用トイレがそれぞれある、なかなかいい物件だった。たしか2015年の3月くらいに入居したはずで、4年近い時間をここで過ごした計算になる。

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自分では自分のこと、それほど感傷的な人間だと思っていないのだけど、むしろ冷たいところも多い人間だと思っているのだけど、しばらくぶりに見たそのビルに、なんとなく胸がきゅんとした。卒業アルバムを見返したときのような切なさが、胸の奥に去来した。

ぼくは若い人、とくにひとり暮らしをしている人には、積極的に引越を推奨している。賃貸契約が更新されるタイミング、つまりは2年に1度の引越をおすすめしている。たとえお気に入りの町に住んでいて、そこに馴染みの店がたくさんあったとしても、だ。


自分がかつて住んでいた場所を訪ねるといい。若かったあのころ、馬鹿にもほどがあったあのころ、あいつらと遊び、あのひとを好いていたあのころ。離れてみるとぜんぶの自分が愛おしくなる。馬鹿なりに真剣だった自分を、すこしほめてあげたくなる。これはたぶん、場所を変えないとできないことだ。同じ町の、同じ家に住んでいては、なかなかできないことだ。そして引越を重ねるたびに、その場所が増えていくのだ。


立ち止まることもせずに通り過ぎた、雑居ビル。やはりぼくは、そこで原稿に追われたり、原稿に追われたり、原稿に追われたり、その他いろいろしていた去年までの自分をなつかしく思い、すこしほめてあげたくなった。

そしてまた、いまのオフィスを同じようになつかしむ日がやってくる。ここを退去し、ぼくらはどこかの町にお気に入りのオフィスを見つけ、せっせと働きはじめる。ふらりここを通って、しみじみと「あのころ」を思うのだ。

その日のために、きょうを働こう。