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ペットボトルのお茶の価値。

中高年がしばしば語る話のひとつに、ペットボトルのお茶がある。

お茶なんて、どこのお店に行ってもタダで出てくるものだ。家で茶を飲んでいるときにも、有料のものだという実感はない。喫茶店を名乗るお店であっても煎茶でカネをとるお店はほぼ皆無で、あそこで喫する茶とはコーヒーと紅茶のことだ。そんなタダ同然のお茶を、ペットボトル(初期は缶)に入れて販売するなんて。そしてそれが売れてしまうなんて。あの商品が出たときには心底ビックリしたよ、わたしは。……という思い出話である。

その世代であるぼくも缶入り煎茶が発売された当初は、大層おどろいた。さらにミネラルウォーターと称する水が発売されたときには、なにかの冗談かと訝った。けれども現在、ぼくを含む多くの人は当たり前のようにペットボトルのお茶を飲み、ミネラルウォーターを飲んでいる。

前にも書いたことだけれど、うちのオフィスにはウォーターサーバーが設置してある。よそのオフィスで見かけていたときには「水なんか飲んでうれしいのかね」なんて鼻で笑っていたくせに、いまでは毎日ぐびぐび飲む。前言とは撤回するからこそ前言なのだ。

とはいえ人間が一日に飲める水の量には限度というものがあり、ミネラルウォーターを1リットルなら1リットル飲むようになったぶん、お茶やコーヒーを飲む量は少なくなった。とくに暑さの厳しいこの夏、コーヒーメーカーの使用頻度は激減している。

おそらくこれは飲料業界全体にもいえる話で、煎茶や麦茶、烏龍茶や各種のブレンド茶などが増え、またミネラルウォーターが増えていったぶん、いわゆる「ジュース」の消費量は下がっていると思われる。それは糖分を含んだジュースが流行らなくなったというよりも、飲料業界のパイをお茶や水と奪い合った結果の話であり、わかりやすいところでいえば自動販売機ひとつを見ても3割ほどがお茶と水で占められ、5割ほどがコーヒー類、そしてせいぜい残り2割がジュースの販売スペースとなっている。むかしの自動販売機がどんな構成になっていたかはもう思い出せないけれど、お茶や水が売られていなかった時代はきっと、ジュースが主役だったはずだ。

で、考える。

むかしはお茶や水なんて、タダ同然の飲みものだった。いまでも水道の蛇口をひねれば、タダ同然の水を飲むことができる。日本の水道水は質が高いとも聞くし、少なくとも飲んでそのまま腹を壊すような水ではない。それではいったいペットボトルに入ったお茶や水の価値はどこにあるのか。ぼくを含む人びとはなぜあそこにお金を払い、それで満足しているのか。ジュースよりも健康的だからか。味が好きだからか。

温度だろうな、と思う。

ただのお茶であり、ただの水ではあるものの、つめたく冷やされている。それがいかにも気持ちよく、いかにも新鮮で、いかにも価値あるものに感じさせているのだ。思えばウォーターサーバーの水も、これでもかというくらい冷えた状態で注ぎ口から出てくる。

ぬるいラーメンはさみしい。ぬるい味噌汁もさみしい。ぬるい素麺も、またさみしい。温度とは味の一部であり、有料のお茶や水はその温度をもって価値をつくっているのだ。

……書くことが思いつかず、ウォーターサーバーの水を飲みながら考えた、前言撤回する気まんまんの仮説である。