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書く人だから、そりゃあね。

わたしは「書く人」である。

ライターなんだから、そりゃ「書く人」に決まってるだろ。なんてお叱りはよしてほしい。ぼくは文章家との意味で自分を「書く人」だと言っているのではない。もっと原始的な、肉体的な意味でそう言っている。つまり、パソコンなどで文字を「打つ人」ではなく、紙とペンをつかって「書く人」だと言っているのだ。

もっとも、仕事の原稿は「打つ」。ここの note だって「打つ」。でなければ、1文字の更新もできない。ただ、おそらくは一般的な社会人、さらには一般的なライターにくらべて、ペンを片手に「書く」ことの総量は多いのではないかと思っている。


たとえば取材のとき。最近の若い方々のなかには、ノートパソコンを広げてパチパチ打ちながらメモをとるライターさんも多い。けれどもぼくは、紙にメモをとる。愛用しているコクヨ・キャンパスのツインリングノートに、ちくちくメモをとる。


あるいは原稿の執筆にあたっても、パソコンに向かう前、原稿の大枠というか、アウトラインのようなものをペンで書いていく。こちらはオキナのプロジェクトペーパーというノートに、書いていく。


ノートについてはこの2冊でほとんど答えが出たように思っているのだけれども、いまだ思い悩むのが筆記用具である。鉛筆からボールペン、万年筆にいたるまで、筆記用具の幅は広い。そしてボールペンならボールペンでも、油性や水性やジェルインクや、いろんな種類がある。万年筆にいたっては、5年10年と使い込んでペン先を自分にぴたりと沿うようカスタマイズさせてこそ、その味わいがわかるのだとされている。ぼくもこの数年、なるべく万年筆を使うようにしてきたし、いまでも「公式筆記用具」は万年筆だ。


ところが最近、にわかに使用頻度のあがってきたペンがある。


水性フェルトペン、いわゆるところのサインペンだ。

いかにも使い捨てで、環境によろしくない感じはあるものの、思いついたことをさらさら書き殴っていくには、これがいちばんラクだ。しかも最近では各筆記具メーカーからさまざまな種類のサインペンが出揃っており、ペン先の太さが選び放題なのはもちろんのこと、たとえば裏写りしにくいサインペンなど、なかなか探索しがいのあるラインナップになっている(いまはサクラクレパスの極細サインペンがお気に入り)。やっぱ、書くのがラクって大事だよ。


理想のサインペンをさがす旅、はじまりそうです。