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賞味期限と消費期限。

お菓子でも、サンドイッチでも、お弁当でも。

店頭で売られる食べものには、賞味期限と消費期限のいずれかが記載されている。このうち消費期限とは、その期日までなら「安全に食べられる」、という期限。逆にいうと、その期日を過ぎたものは衛生上食べないことを推奨するもので、弁当やおにぎりなど、傷みやすい食品に表示されている。

一方の賞味期限は、スナック菓子や缶詰、インスタントラーメンなど傷みにくいものに記載された期限で、その期日までなら「おいしく食べられる」という案内になる。消費期限と違って、1日や2日くらい期限を過ぎても、まあ普通に食べることはできる。


という食品衛生法的な余談とは関係なく、もしかしたら人間にも賞味期限と消費期限があるのかもしれんなあ、と思うことがある。

この場合の賞味期限とは、「お客さんに飽きられるまでの期限」だ。食品と同じく人間も、いつまでも新鮮でいられるわけがない。意識的にであれ、無意識のうちにであれ、鮮度を売りにしていた人間は、新鮮でなくなったどこかの段階でかならず飽きられる。なんならそれは、企業や商品、サービスだって同じことが言えるはずだ。

それに対して消費期限とは、「その人が削っていける『わたし』の量」だ。お客さんから飽きられないようにするためには、常に「あたらしいわたし」を提示していかなければならない。そして「わたし」そのものを商品とするフリーランスの多くは、提供できるサービスの枯渇を察知すると、わたしという個人それ自体を切り売りするような消耗戦に突入してしまう。結果、身も心もボロボロになって、周囲と衝突するばかりの人になり、衝突それ自体を商品にしようとさえ、してしまう。


この賞味期限と消費期限の壁を乗り越えていくには、なんらかの「芸」が必要だ。テクニックではなく、「芸」としか言いようのないなにかだ。ぼくは自分が追い詰められたとき、しばしばお笑い芸人さんやものまねタレントさんの動画をみて気持ちを落ちつけるのだけど、それは笑いを求めているというより、彼らの笑いを支える「芸」を求めているのかもしれない。

なんだかまじめなトーンで書いてしまったけれど、「芸」と「ユーモア」はかなり仲のよい隣人だと思うのだ。