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来月の引越を前に思う。

引越の多い人生だった。

転勤族の家庭に生まれたことが影響しているとは思わないものの、東京でひとり暮らしをするようになってからも2年ごと、つまり家賃の更新のたびにあたらしい住居へと越す暮らしを続けていた。ひとつの場所に長く暮らすことにも飽きるし、単純に「更新料を払うのがもったいない」と思ってしまうからだ。冷静に考えれば転居費用のほうがうんと高いのだけれども、そんなおもしろくない計算をする人間になりたくもない。

そしてまた、ぼくはフリーライターという仕事に就いていた。原稿の執筆にあたっては、たくさんの資料を要する。本やDVDの資料もあれば、プリントアウトした論文や官報まわりの資料、新聞や雑誌、また(当時は紙でのやりとりが当然だった)ゲラの類いも山ほどある。さらにはフリーランスの定めとして、確定申告関連の紙書類も膨大だ。

これらは捨てるタイミングがよくわからない。たとえば5年前につくった本が文庫化される運びとなり、原稿確認と改稿のため、ふたたび当時の資料が必要になるようなことも多々ある。確定申告まわりの書類を破棄できないのも当然のことだ。

そういうわけで、明らかにゴミと思われるもの以外の紙書類については、すべてダンボールに投げ込み、そのまま引越先へ持っていくことが、いつしか慣わしとなった。いらないであろう書類も、1%の「いるかも」のために、次の住居へと持ち歩くわけだ。

そうすると今度は「ダンボールで持ち込み、一度も開封されることのないまま二年後、次の家へと運ばれていくダンボール」なるものが大量に発生することになる。そのくり返しがだんだんと馬鹿らしくなり、「この家に来てから一度も開封されていないダンボール」は、そのまま処分する男気ができてきた。いまから15年ほど前のことである。

さて。現在われらがバトンズは引越を画策している。来月の中旬あたりに、近隣ビルに越す予定でいる。いまのオフィスに移ってきて以来、一度も開封されていないダンボール(正確にはバンカーズボックス)は大量にある。ここで「念のため確認しておこう」なんて言って開封してしまうと、処分するのに迷いが出る。ここは堂々と、まったく中身を確認することなくガンガン処分していく豪傑を発揮せねばと思っている。振り返るべき過去はそこにはない、とかなんとか言いながら。

それにしても引越、間に合うのかなあ。現在諸般の事情によって九州に来ており、遠く離れた空の下、格安ビジネスホテルの狭い机に向かってそんなことを心配している。