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ちょうどいい人間であること。

可もなく不可もなく。

一般にこれは、あまりよろこばれることのない言葉だ。人物的な評価として「可もなく不可もなく」とされるのも悲しいし、仕事の評価が「可もなく不可もなく」であっても、やはりさみしい。人は「可」がほしいものである。

しかしながら現在、オフィスの窓を開け放って仕事をしながら「なんてちょうどいい気候だ」と思った。暑くもなく、寒くもない。エアコンを動かす必要もなく、半袖のシャツを着て仕事をするのにちょうどいい。この「ちょうどいい」とは、言い換えるならば「可もなく不可もなく」なのではないか。違うとすればいったい、どこが違うのか。

そりゃあ「可」と「不可」を比べてみれば、「可」であることが望ましい。「可」をめざして仕事はなされ、人は生きている。

それに対してたとえば気候は、「暑い」と「寒い」のどちらも嫌で、ほどほどの中庸を求められている。いや、サーファーとかスキーヤーとかの人たちは特別な「暑い」「寒い」を求めるのかもしれないけれど、日常の暮らしとしては今日くらいの「ほどほど」がありがたいはずだ。

と考えた場合、平時の仕事においても「可もなく不可もなく」はアリなのではないか。

つまり、大事な仕事のときには思いっきり「可」であってほしいものの、そうではない時間や場所ではほどほどの、可もなく不可もない凡庸な人間であっても、それでいいのではないか。むしろ、それがいいのではないか。


自分自身のこととして考えた場合、平時のぼくはわかりやすく「可もなく不可もなく」の人間だ。目立つことをしないし、目立とうとも思わない。波風立てる気も、ウケを狙いに行く気も、さらさらない。

一方で、平時から「変わった人」や「キレキレのおれ」や「極端なわたし」を演じている人と一緒にいると、どうも疲れてしまう。なんというか、ずっとネタを見せられているようで心地のよい雑談やその関係に発展しにくいのだ。

というわけで、仕事の日常においては「可もなく不可もなく」の、「ちょうどいい」人間であるくらいが、まさしくちょうどいいのだろうなあ、なんてことをちょうどいい外気を感じながら思ったのである。