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太陽と犬。または神のアナグラム。

光合成、と人はそれを呼ぶ。

人間の家で暮らす犬が、窓辺やベランダの、日の当たる場所に横たわるさまを指してそう呼ぶ。犬はとても気持ちよさそうに眠っている。しかしそれは「ぽかぽかと気持ちよさそうだ」なんて感想をはるかに上回る本格的な日光浴で、「ちょっとやりすぎじゃない?」と見ているこちらが心配になるほどいつまでも日に当たっている。事実、喉が渇くなどして日光浴を中断した彼の身体を触ると、「あつあつ」と言ってもいいくらいに身体が熱せられており、そこまでして日に当たらねばならぬ切実に対し、日光浴を超えた「光合成」を人は感じる。これは気持ちよさを求めた結果の行為ではなく、生命の維持に欠かせないなにかなのだろう、と。

太陽があり、地球がある。めらめらと燃え盛る巨大な星があり、そこから逃れられない場所に、われわれの星がある。

ややもするとわれわれは太陽の光を、照明の一種くらいに考えてしまう。日が落ちてきたので部屋の電気をつけましょう。運転中の車は、ヘッドライトをつけましょう。夜になっても、それで万事オッケーです。という具合に。

しかし蛍光灯の下でぬくぬく横たわる犬がいないように、そして蛍光灯の光で日焼けすることがないように、照明と太陽はまったく違うものだ。太陽の光はもっと「栄養」に近く、「薬」に近い。過剰摂取が身体に害をもたらしかねないところもふくめて、とても薬に近い。

それゆえ地球上の生きとし生けるものは、みな太陽があることを前提として生きている。もしも太陽が消えてなくなったなら、それは地球という惑星の死に直結する。生きものが生きていけないほど寒くなるし、暗くもなる。そしてなんといっても地球は太陽のまわりをぐるぐる回っているのだ。太陽が消失したときの地球は、どこに行けばいい? だれのまわりを回ればいい?

要するに太陽は、神なのだ。

われわれの地をつくりたまいしもの。その存在なくして、生きてはいけないもの。その不在など、考えられるはずのないもの。ときに姿を隠し、いつかまた姿を現してくれるもの。すべての生きものに等しく手を差し伸べてくれるもの。絶対のもの。唯一のもの。——太陽を抽象的に語ろうとすると、それはほとんど神と一致する。宗教を、とくに一神教における信心のありようを解さぬぼくのような日本人は、彼らの崇める「GOD」を、太陽に置き換えて考えれば、その一端を理解することができるのではないかと思う。そりゃあ「ある」よな。そりゃあ「いる」よな。そりゃあ「いない世界なんて考えられない」よな、と。


そしてぼくにとっての「いない世界なんて考えられない」といえば犬だ。

DOG is GOD なのである。