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カキフライを待つあいだに。

たとえば夏がやってくる。

食堂の壁や窓ガラスに「冷やし中華はじめました」の張り紙が掲げられる。食べることをしなくても、「ああ、夏がきたのだな。もうそんな季節になったのだな」と知らされ、すこしうれしくなる。夏の暑さが苦手な人であってもたぶん、すこしうれしくなる。季節の変化に気づくこと、思いがけずそれを知ることは誰にとっても、うれしいものなのだと思う。

もうそんな季節になったのか、を知らせてくれるもうひとつの食べものといえば、カキフライである。食堂に「カキフライはじめました」的な張り紙を見つけるとやはり、うれしくなる。のみならず、つい食べてしまう。牡蛎の産地に行くと、その新鮮さを誇るようにどうぞどうぞと大量の生牡蠣を差し出されたりするものだけれど、ぼくがいちばん好きな牡蛎料理は、カキフライだ。地方の旅館にありがちな「新鮮だから生で食え」的な発想は、ときにハラスメントにもなりかねない短絡だと、ぼくなどは思ってしまう。新鮮な牡蛎でつくったカキフライを、ぼくは食べたい。

「新鮮だから生で食え」の類例は、いくらでも挙げられる。

たとえば中途半端にコーヒーを愛好する人たちの、ブラックコーヒー信仰。せっかくのいい豆なのだからブラックで飲め、砂糖やミルクで味を濁すなんてもったいない、まずは豆本来の味をたのしめ、的な言説だ。ぼくはたまたまブラックコーヒー派なのでそれで問題ないけれど、砂糖やミルクを入れてぜんぜんかまわないと思う。むしろ砂糖やミルクとの相性を味わうこともまた、コーヒー選びのたのしみだと思う。

あるいは、天ぷらやとんかつを塩で食わせる店。これも素材本来の味をたのしめということなんだろうけど、正直揚げものをずっと塩で食ってると口のなかがべとべとになって、たいそうよろしくない。「(素材がいいので)塩だけで食ってもうまい」ことと、「塩だけで食うべし」はまったく別の話だと、ぼくは思う。


……って、おれはなにを書いているのだろうか。UberEATS で大戸屋のカキフライ定食を注文し、その到着を待つあいだ「冬だねえ」の話を書こうとしたのだ。それがいつの間にかこんな屈折したイチャモン文になったのは、もしかするとすこし、ストレスがたまっているのかもしれない。


あ。そういえば冬になると、鍋焼きうどんもはじまるよね。自分で食べることはあまりないけど、鍋焼きうどんのルックスは冬っぽくて好きだなあ。