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夏の暑さと炭酸水。

むかし、子ども向けの雑誌で炭酸水に関するマンガを読んだことがある。

たしか、ローマ時代の人たちは炭酸水を薬として飲んでいたとか、そんな感じのお話だ。おっちょこちょいな主人公の男の子は、「じゃあぼくもたくさん炭酸ジュースを飲もう!」と喜ぶのだけど、白髪の博士が「炭酸ジュースは砂糖がいっぱい入っているからダメじゃ。ローマ人たちは砂糖の入っていない、味のしない炭酸水を飲んでいたのじゃよ」と諭す。小学生のぼくは、主人公の男の子と一緒に「うへぇ〜」と顔をしかめた。味のしない炭酸水なんて、おいしいわけないじゃん。ってなわけである。

いま、ぼくはわざわざ金を払って手に入れた、味のしないウィルキンソン炭酸水を飲みながら、これを書いている。たぶん最初にペリエ的な炭酸水を飲んだときも、こころのどこかで「うへぇ〜」と顔をしかめたはずだ。こんなのぜんぜんおいしくないよ、と思ったはずだ。


じゃあ、いま炭酸水をおいしく飲んでいるかというと、やや疑問がある。少なくともぼくの場合は積極的なおいしさというより、「コーラみたいに口のなかがべとべとしない」「ファンタみたいに料理の味をじゃましない」「ドクターペッパーみたいに身体に悪そうじゃない」みたいな、次善の策として、「いやなことの少なさ」を理由に、炭酸水を飲んでいる。

いや、たまにコーラを飲みたくなるんですよね。キンキンに冷えたコーラを、毒を食らわば皿まで、ってくらいにグビグビたくさん飲みたくなるんです。いまがまさにそんな気分で、ペットボトルに残ったウィルキンソンをうらめしく眺めながら、これを書いているのでした。


そんだけきょうは暑い、ってお話です。