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かっこいいおじさんは、いない。

高校生のころ、メンチカツが苦手だった。

満員電車のなか、背広姿のおじさんがげっぷをする。肉と脂と玉ねぎの混じった猛烈なメンチカツ臭が、その湿り気とともにこちらの顔に振りかかる。大袈裟ではなく、ほんとに吐きそうになる。餃子や焼肉と違って、メンチカツを食べたおじさんはおのれの口臭(げっぷ臭)に無頓着だ。ああいうおじさんにはなるまい。メンチカツには手を出すまい。高校生のぼくは、固くこころに誓いながら、逃げ場のない電車に揺られていた。


きのうの昼、好きな中華料理屋さんでニラレバ炒めを食べた。うまいなあ、おれはほんとにニラレバが好きだなあ、昼間じゃなかったらビールの一杯でも飲みたいところだよ。などと思いながら、るんるんで完食した。店を出て通りを歩く。もちろんマスクを装着している。生理現象として仕方がない、ちいさなげっぷが出る。……と、マスクのなかに醜悪なニラ臭とレバー臭、ニンニク臭が充満する。50年近く生きてきて、これまで考えたことがなかった。ニラレバ炒めとは、かくも匂いの強烈な食べものだったのだ。あの日、高校生のぼくにメンチカツのげっぷを浴びせかけたおじさんと同じく、おれもこれまで誰かをニラレバ臭で辟易させてきたのかもしれない。


おじさんは、おじさんというだけで生理的な嫌悪感を持たれたりするものだけれど、その理由のけっこうな割合は「不潔さ」が占めているのではないかと思っている。「清潔感のなさ」と言ってもいい。そして清潔感のなさは、自身に対する客観性の欠如と、他者に対する配慮の欠如によって発現してしまうものだ。

かっこいいおじさんも、かっこ悪いおじさんも、ほんとはいない。清潔なおじさんと、不潔なおじさんが、ただいるだけだ。みずからを律するおじさんと、他者に甘えた自堕落なおじさんが、ただいるだけだ。


ほんとかよ、と自分でも思う話だけれど、中華料理屋からの帰り道、そんなことを考えた。