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水に潜って泳ぐ人たち。

水面の、その下にあるものを想像してみる。

たとえば、ぼくのまわりにいる人たち。あの人やこの人がいまなにをやっているのか、ほんの少しだけぼくは知っている。まだ公にはされていないけれど、ずっとこういうことに取り組んでいる。そんな話をぼくは、たくさん知っている。自分自身の話で言っても、いくつか「水面下」で進んでいる仕事やプロジェクトはあって、その多くはまだ誰にも言えない。公にされたときのことをたのしみに、日々を静かに生きている。

本来、なんだってそうなのだ。

わかりやすい例を挙げるなら本日発売されたという、ユニクロのエアリズムマスク。あれだって数か月におよぶ「水面下」での企画・開発・製造・検品期を経て、先週だか先々週だかに「こういうものをつくりました」のアナウンスがなされ、本日無事に発売されている。

あるいは、本日どこかのサイトで公開された、誰かへのインタビュー記事。これだって、今日までずっと「水面下」で準備されてきたわけだ。

そうやって考えるともう、つくる系の仕事のほとんどは「水面下」にあるとさえ言える。本やウェブコンテンツをつくっているとき、いちばんたのしいのは、それが「誰も知らない水面下」にあるときだ。これが世に出たら、どうなるんだろう。どんな反応があるんだろう。ひょっとしたら世界は、ひっくり返っちゃうんじゃないだろうか。……そんなワクワクが、(世間の荒波にさらされない)水面下の時期にはある。


きっといまも、うんざりするほどたくさんの人が、それぞれ「水面下」でなにかの準備を進めている。水面の下には、石垣島の熱帯魚みたいにうじゃうじゃ「たくらみ人」たちがうごめいている。そのさまを想像すると、ちょっとたのしい。世のなかが、見た目よりもずっとましな、エキサイティングなものに思えてくるのだ。