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重厚長大、ふたたび。

マスクを常用するようになって面倒なのは、やはり iPhone だ。

顔認証をしてくれない。立ち上げようとするたびにマスクをずらすか、パスワードを手入力するかしなければならない。花粉症が蔓延し、マスク習慣の行き届いていた日本ですら「めんどくせえ」の声が聞こえるのだから、これまでマスク習慣のなかった欧米圏ではみんなイライラしていることだろう。同じくめんどくせえなあ、と思いながらぼくはこの「想定外」、ちょっとおもしろくも感じている。

未来のことはなんでもお見通しで、むしろおれたちがミライをつくっていくんだ、くらいの自負があったであろう Apple や Google でさえ、「みんながマスクをする社会」の到来を予想できなかった証拠だからだ。両社になんの恨みもないものの、どこか「ざまあみろ」と思う自分がいる。

日本は、世界は、これからこうなっていく。

IT、AI、IoT、その先にはこんなミライが待っている。

これら、かしこい人たちの語る未来予想図は、イマジネーション(空想)の産物ではまったくなく、パターンを限定したうえでの詰将棋でしかなかったりするものだ。すべては合理性に基づいたシミュレーションであり、その根底にあるのは「人は、どこまでも『便利』を希求する生きものである」の人間観である。


なにかが軽くなる。なにかがちいさくなる。なにかがうんと速くなる。たしかにそれは「便利」だろう。けれども、かしこくなれない人間のひとりとしてぼくは、「わかりやすい便利」とは違った方向で、これからのことを考えたい。具体的には、自分のつくるコンテンツを考えたい。

たとえば、これはなんらデータに基づかない直感なのだけど、これからの本は「薄い」「軽い」「短い」よりも、「厚い」「重い」「長い」にその価値を見出していく時代になると思うのだ。