マンゴーが教えてくれたこと。
朝食の代わりにマンゴーを食べた。
ふるさと納税の謝礼品として送られてきた、宮崎県産のマンゴーだ。たとえどんなに高貴なお家柄の人であっても、マンゴーを食べるときにはサルになる。サルのごとくに、むしゃぶりつく。いや、ほんとうに高貴な方はマンゴーの皮さえ誰かにむいてもらうのかもしれないけれど、もっと別の食べ方があるのかもしれないけれど、とりあえず同封された食べ方ガイド的な用紙に記された切り方から類推するかぎり、マンゴーを前にした人はサル化せざるをえない。
同じように人をサル化させる食べものに、カニがある。とくに上海ガニなどはその高級なイメージをよそに、ちゅうちゅうじゅるじゅるサル化すること甚だしい。そして判を押したように人は言う。「カニを食べると、みんな無口になる」と。カニは、人びとを無口で無心にさせるほどうまい食いものなんだと。
これ、ほんとにそうなのだろうか。
ぼくは世間の人びとほどには、カニやエビをありがたがる心を持っていない。エビフライもおいしく食べるし、カニチャーハンを注文することもあるし、誰かの結婚披露宴なんかで伊勢エビが出てくれば、おめでたいなあと思いながら頂戴する。けれどもそれは、とんかつや高菜チャーハンやステーキなんかで十分に代用できるというか、むしろ後者のほうが好きだったりする。
ところが人びとはカニの前で無口になり、貸し切りバスに乗って越前ガニ食べ放題ツアー的な旅に出かけたりする。なぜか。カニのなにが、ここまで人びとを魅了するのか。
灯台下暗しとは、このことである。
つまり、カニとは道楽なのだ。
あの、特殊な形状をした金属棒で身をほじほじしたり、足の殻をへし折ってちゅうちゅうしたり、ほれこんなにうまく身が取れたぞお父さんは、と自慢したり、甲羅に熱燗を注いでちゅるちゅるしたり、ああいった(ぼくがどうにも面倒で好きになれない)諸々の行為は、すべてがおおきな道楽なのだ。道楽に、みんな夢中になり、無口になっているのだ。
じゃあ、他人の道楽に口を挟むことほど野暮なものはない。ぼくは黙って、みなさま方のカニライフを、その道楽を受け入れよう。
マンゴーのおかげで、ひとつ積年の謎が解けました。