共同作業のプロフェッショナル。
とんかつ屋でひとり、昼ごはんを食べていた。
となりの席のふたり組が、ずっと庵野秀明さんのことを語り合っていた。やがてそのふたりが会計を済ませ、別の男女が席に着いたのだけど、その人たちもやはり、庵野秀明さんのことを語り合っていた。きのうNHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」庵野秀明特集の感想である。語る、語る、みんながそれぞれ、感想を語る。
庵野監督には以前に一度、取材させていただいたことがある。そしてまた、パーティーや食事会などの席で数回、個人的におしゃべりさせていただいたことがある(当然庵野監督はおぼえておられないだろうけど)。取材のときも、おしゃべりのときも、きのうの放送を観ても、ぼくは庵野監督を「ヘンな人」だとは、まったく思わなかった。ものをつくる人間として当たり前のことを、当たり前に、ただしとんでもない高みのところで、やられている。才能の基礎点はスズメと白頭鷲くらいに違うし僭越だけれども、自分の考えと重なる部分も多く、なんだか勇気づけられた。
一方で心底「すげえなあ」と思ったのが、スタッフの方々だ。
庵野監督の脚本や絵づくりに対し、言うべきところはきちんと直言する。それを指摘してしまえば監督がイチから脚本を書きなおすと言い出したり、結果的に自分たちのこれまでの努力が無になるとわかっていても、直言する。嫌われたり、投げ出されたり、(庵野監督はそんなことしないだろうけど)叱責されたりすることを恐れず、言うべきは言う。最終判断を下すのは庵野監督だけれど、その最終判断に従うことと最初からイエスマンになることは違うと、誰もが理解している。
信じ合っているんだなあ、と思ったし、信じ合えてるんだなあ、と思えた。とてもうらやましかった。以前に取材させていただいたとき庵野監督は、映画やアニメーションのよさについて、それが「共同作業」であることだ、と話されていた。スタッフみんなの個性や思い入れが混ざり合って、渾然一体とした映画になってこそ「自分」を超えた作品になるし、それを求めて自分はこの世界にいると。
きのうの放送中、NHKのディレクターに向かって何度も「ぼくを撮ってもおもしろくないよ。こっち(スタッフ)を撮らなきゃ」とおっしゃられていたのは、ディレクターへの意地悪でもなく、自身のおもしろさへの無自覚でもなく、カメラを向けられることへの照れやストレスでもなく、ただの本音だと思う。プロフェッショナルはここにある、と。プロフェッショナルな人が「いる」のではなく、プロフェッショナルの場が「ある」のだ、と。
うーん。いろいろ考えさせられる、いい番組だった。ぼくもあれだけ真剣な共同作業のできる人間になりたいし、その環境をつくんなきゃなあ。
ひとりで特ロース食ってる場合じゃないよ。